Q:同性愛は罪ですか? 聖書はなんと言ってるの?

      2019/04/20

Q:同性愛者のクリスチャンや牧師がいると聞いたのですが…。
同性愛って、罪じゃないんですか?

1.「同性愛」という言葉は、聖書にはありません!

「同性愛」も「ゲイ」も「レズビアン」も「バイセクシャル」も「トランスセクシャル」も、聖書に、そんな言葉はありません。

愛することを禁じる法もありません。

ダビデとヨナタン、ルツとナオミ、そしてイエスと弟子たちのように、同性間にも麗しい愛に満ちた関係があることを聖書は教えてくれています。

2.禁じられているのは同性間の性行為!!

一方、聖書は、同性間の性行為は、厳しく禁じています。

旧約聖書の律法では、結婚した男女間以外のあらゆる性行為が禁じられています。

同性間の性行為は、近親相姦や獣姦と並んで、死にあたる罪とされています。(レビ記18:22)

これらは、カナンの住民が犯していた罪であり、彼らの裁きの原因となりました。

 

大洪水の引き金は、堕天使と人間の性交であり(創6:2)、

ソドムとゴモラの滅びの直前、住民は天使を犯そうとし(創19章)、

イスラエルのベニヤミン族は、祭司を犯そうとして裁かれました。(士師19~20章)

聖書は、同性間の性行為の蔓延を、罪が極まった状態として記しています。

 

新約聖書でも同様に、使徒パウロは、同性間の性行為が常態化したローマを嘆き、神の怒りと裁きを招いていると厳しく警告しています。(ローマ1:27)

イエス自身は、姦淫以外の不正な理由で妻を離婚して他の妻をめとるのは、姦淫であると宣言されました。(マルコ10:2~~12)

また、欲望の目で女を見る者は、姦淫の罪を犯したのだ、ともいわれています。(マタイ5:28)

このことから、イエスは、律法以上に厳しい性的規範を人々に求められたことがわかります。

3.性的寛容の結果としての命の軽視!!!

聖書が固く禁じている偶像礼拝の中心には、神殿娼婦・男娼との性的儀式があり、乳幼児の人身供養も合わせて行われました。

性的に寛容だったという、かつての日本では、子どもの性的虐待、人身売買、売買春、口減らし、姥捨てなど、日常茶飯事でした。

 

今の時代、婚前交渉という言葉すら薄れ、あらゆる性欲を満たすことが権利として訴えられています。

一方で、堕胎により、おびただしい命が奪われ、出生前検診の普及した国々では、ダウン症児は、誕生すら困難になりつつあります。

人類の歴史は、性的寛容が常に命の軽視をまねくことを露わにしています。

 

聖書は、同性間だろうが異性間だろうが、愛は禁じていません。愛を禁じる法は聖書にはありません。

しかし、同性間の性行為は、厳しく戒められています。

 

ですから、教会で同性愛者のことを問題にするとすれば、それは、「同性愛は罪か」ではなく、「同性間の性行為を認めてよいのか」という点に絞られるべきでしょう。

当事者に対しては、明確に同性間の性行為は罪だと告げなければなりません。

そして、すべての人は、神から離れ、罪に陥っているということも。

同性愛者であろうと異性愛者であろうと、みな滅ぶべき罪人なのです。

福音を信じ、主イエスに従う道を伝え、救われた罪人同士として、彼ら彼女らと共に歩んでいくことを、教会は求められていると思います。

 

同性愛者の性感染症の率は、異性愛者よりもはるかに高いことが統計上明らかになっています。

同性間の性行為は、健康上の悪影響を及ぼします。非常に危険な行為でもあるのです。

人間の体は、同性間の性行為を前提に作られていない以上、当然のことです。

 

同性愛者であることを公言しているある男性の牧師は、ひとりの男性と会ったその日にキスにまでいたったこと。

また、これまでに付き合った複数の同性のことを赤裸々に自伝に記されていました。

問題の本質は、決して「愛」ではありません。「性的欲望」であり、「性行為」です。

美化されえない、その現実を直視しなければならないと感じています。

 

聖書によれば、同性愛者もまた、罪人です。

同性間の性行為は、罪です。同性に対して性的欲望を抱くことも、罪です。

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