Q:信じても、変わらないのはなぜですか?
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Q:イエス・キリストを信じて、洗礼も受けました。クリスチャンとして何年も歩んでいるのに、何も変わらない自分がいます…。なぜなのでしょう?
信じた後、誰もがぶつかる壁があります。まず、クリスチャンの成長の三つの段階を確認しましょう♪
1.義認(ぎにん)!
福音の三要素、
「①イエス・キリストは私の罪のために十字架にかけられ、②死んで葬られ、③復活された」
このことを理解し、信じた瞬間に、あなたは救われました。古いあなたは死に、新生し、あなたの内に聖霊が内住されています。
あなたがどう感じようとも、信じた人には、すでに起こっていることです。
義認とは、あなたが神によって義(よいもの、無罪)と認められたということです。
2.聖化(せいか)!!
信じて間もなく、私たちは不安に捕らわれます。
本当に自分は救われたんだろうか、何も変わっていないじゃないか、と思えてならなくなるのですね。
長年刑務所にいて、出所したという人が、実際に外の生活に慣れるには、時間と環境が必要だと言います。
体は自由になっても、無意識の内に染みついた習慣や考えはなかなか変わらないのです。
同様に、信じた瞬間に私たちは解放されましたが、私たちの心が、それを実感できるようになるには、時間がかかります。
成長するためには、そのための環境も必要です。
励まし合える信仰の兄弟姉妹、聖書の理解を深められる学びの機会、喜びを味わえる礼拝…、それらのことが重要です。
人は、自分を救えませんし、自分を変えることもできません。霊的な成長も、自分の努力ではできません。
成長させてくださるのは神様です。(Ⅰコリ1:39)。私たちは、信じて救われ、信じて成長するのです。
3.栄化(えいか)!!!
私たちの霊的な成長は、残念ながら生きている間には完成しません。私たちの信仰は、生涯未完成なのです。
しかし、霊的成長が完成する時が、必ずやってきます。それが栄化の時です。
キリストが再臨され、世界から悪が一掃され、すべての信者が復活する。
復活の体を与えられた者は、もはや罪を犯すことはありません。地上の肉体につきまとっていた罪から、完全に解放されたからです。
聖書を学び、将来起こる聖化のことが、確信へと変っていくと、今を生きる希望が涌いてきます。
義認も、聖化も、栄化も、神様の約束に基づくことです。
聖書の約束、契約の確かさについて学ぶことが、何より変化を後押しする力になります。
信じたのに変わらない、のはなぜ? 二つの可能性
①本当は、少しずつ変わっているのだけど、自分で気づいていない。
→自分の小さな変化を教えてくれる、信仰の兄弟姉妹が必要ですね。
②聖化の課程を歩み出していない。相変わらず自分で頑張っている。
→変えて下さるのは、神様です。そのことを信頼しましょう。
聖書を読むと、過ちを繰り返しながらも、変えられていった、たくさんの人々の姿が描かれています。慰めと励ましが与えられますよ。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
Ⅱコリント 3:18