動画&まとめ メシアの受難② ルカ19:28~44「エルサレム入城・吟味されるイエス」
1. イスラエルの祭りとメシアの生涯
イスラエル三大祭の一つ、春の過越祭は、出エジプトを記念する祭りです。子羊の血を家の門柱とかもいに塗ることで、イスラエルは災いを過ぎ越しました。
過越祭が示すのは、人類の罪のために犠牲の子羊となられるイエス・キリストです。
イエスの最後の一週間は、過越祭の日程と重なって進んでいくのです。
2. エルサレム入城
人々の熱狂の中、ろばに乗り、平和の王としてエルサレムに入城するイエス。
ホサナ(主よ、救いたまえ)という呼び声も、しゅろの葉も、メシア来臨と神の王国の実現を示す、仮庵祭の習慣でした。
メシアは確かに来られました。しかし、人々が理解していなかったのは、メシアはまず、受難の僕として、自らを犠牲とするために来られることです。
過越祭はメシアの受難を示し、仮庵祭は、王の王メシアの再臨を示します。
エルサレムを見て号泣されたイエスには、40年後のエルサレム陥落が見えていました。イスラエルはメシアを拒み、十字架にかけようとしています。
3. 吟味されるイエス
イエスがエルサレムに入城したのは、過越祭に祭司が神殿に献げる子羊をより分ける日でした。この後3日間、子羊は、傷もしみもないか吟味されます。
同じ時にイエスは、最後の討論を通し、ご自身のきよさを証明されます。4つの立場からの議論を退けるのです。
①まずイエスは、ユダヤ議会からの権威をめぐる質問を受けますが、直接答えず、逆に洗礼者ヨハネの権威について問い返し、彼らは沈黙しました。
メシアの先駆者である洗礼者ヨハネすら拒んだ者たちに、メシアの権威が受け入れられるはずもありません。
②ヘロデ党とパリサイ人が共謀し、税金を皇帝に納めることの是非を問います。どちらに答えても貶められる罠を、イエスは見事な答えで退けました。
③世俗的なサドカイ人は、「7人の夫と結婚した妻は、復活したら誰の夫になるか」と問います。復活は、婚姻関係を超越したものであり、何より、アブラハム、イサク、ヤコブの神という神の呼び名自体が、彼らの復活を前提にしていることをイエスは語ります。
④パリサイ人らの最も重要な掟は?という問いに、イエスは、神を愛し、隣人を愛することを聖書から説きます。彼らは、どちらの愛も欠けていました。
最後にイエスは、ダビデの子と呼ばれるメシアをダビデ自身が主と呼んでいることを指摘し、ご自身こそ、神の子メシアだと明らかにされました。
人々は沈黙し、吟味は終了します。
4. 人類の罪を贖う犠牲の子羊
イエスは、受難のメシアとして、辱めを受け、十字架で命を献げるためにエルサレムに入られました。
そして、神殿での最後の討論をことごとく退け、ご自身がきずもしみもない、完全な犠牲だと示されました。
心を裸にされて、平気な人がいるでしょうか。罪のない人などいません。 しかし、イエスは、あらゆる吟味に耐えられ、十字架に向かわれたのです。