十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

聖徒伝35 モーセ⑨ 栄光を映し出す者として 出エジプト記33~34章

2020/08/27
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

【メッセージアウトライン・PDF資料はこちら➡】35_モーセ10_主の栄光に照らされて_200524

1. 民の嘆き モーセの願い  33章

共に上らないという主の言葉に悲嘆したイスラエル。モーセは、宿営の外に設けた天幕で主に謁見し、同行を切に願いました。

神は、民と共に上り、神の民イスラエルを他と区別すると応えられました。

さらにモーセは、神の栄光を直接目にすることを切望しました。

 

きよい神に直面すれば、罪人は滅びます。

主は、モーセを岩の裂け目に入れて守り、通り過ぎる後ろ姿を垣間見るようにされました。

岩は、メシアを象徴します。人はメシアの守りの内にあってはじめて、御顔を仰ぎ見ることができるのです。

 

2. モーセが仰ぎ見た主の栄光 34章

主に忠実に従い、再度、シナイ山へ登ったモーセ。山頂に栄光を帯びて来られた主は、御名を宣言されました。

主は、信じる者に永遠の恵みを与え、咎を4代で断ち切られる憐れみの方です。

 

そして、再度の契約が結ばれました。約束の主は驚くべき御業をもって、イスラエルの民を守り、導かれます。

再確認される種々の約束。偶像礼拝の禁止、三大祭の遵守…。そして新たな十戒の板を、モーセは手にしました。

 

下山したモーセの顔は、主の栄光を反射して光を放っていました。残り香のように、しばらくの間、主の栄光が輝いていたのでした。

モーセの顔に反射された神の栄光もまた、民への神の臨在のしるしです。

 

3. 主の御顔を仰ぎ見よう

とりなし願うモーセに、主は、「わたし自身が一緒に行く」と答えられました。直訳すると「わたしの顔(パニーム)」が行くということです。

主の栄光とは、神の御顔の輝きです。罪ある者は、直視できません。たちまち滅んでしまうからです。

 

栄光を見たいと執拗に求めたモーセは、主の御顔の後ろ姿を、岩の隙間から垣間見ました。

それだけでも、しばらくモーセの顔は光り輝いていました。

残り香のように反射されていた神の栄光。それが日に日に薄れるのを、民に気取られないよう、モーセは顔を覆いました。

 

イスラエルの民の心は、この後、神から離れ、ずっと覆いがかけられたまま、今に至っています。

それを取りのけられるのは、律法が示すメシア、イエスだけだとパウロは告げています。(Ⅱコリント3:12~18)

民族的にメシアを拒む重い罪を犯したイスラエルですが、神の約束は今も生き続けています。

彼らが民族的悔い改めに至り、メシアを受け入れた時、長年、イスラエルを主から隔てていた、その覆いは取り除かれるのです。

 

主イエスが、十字架の贖いによって、神と人との間を隔てていた、覆いを取り除かれました。

これを信じたすべての人は、神の栄光が住まわれる神の宮とされています。

それが、聖霊が内住されるということです。

 

自分の弱さを自覚し、聖霊に切に助けを求めましょう。

躊躇する心を吐露し、覚悟して一歩を踏み出しましょう。

行動が伴わない信頼は、信頼とは呼べません。

再度、シナイ山に登ったモーセのように、主に向かって歩み出し、栄光を映し出す者へと変えられていきましょう。

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