聖徒伝68 士師記② 3章 主の霊が臨むなら オテニエル エフデ シャムガル
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1.士師オテニエル 3章1~11節
残された異邦の民を通して、主はイスラエルを試みました。信仰者の訓練は、神の守りの内になされることです。
異教徒と交わり、偶像礼拝に陥ったイスラエルを、主はまず北方のアラム・ナハマイムによって裁かれました。
悔い改めた民を救うため、主が起こされた最初の士師が、オテニエルでした。
デビル陥落の先陣を切り、カレブの娘アクサを妻とした勇士オテニエルは、まさに、神の民の正統派のリーダーでした。40年の平和が彼の下でもたらされました。
2.士師エフデ、シャムガル 12~31節
オテニエルの治世の始め頃、19~21章に記された聖絶事件が起こり、ベニヤミン族は、わずか600名が生き残りました。士師記の最後、19~21章に記されている出来事です。
このベニヤミンの末裔が、二人目の士師エフデです。
ベニヤミン(右の手)なのに左利きのエフデ。彼の、ひねくれた資質を示す呼称なのだと思われます。
エフデは、18年に渡りイスラエルを苦しめていたモアブに反逆しました。
両刃の短剣を忍ばせ、モアブの王エグロンに謁見。隙を見て、王を刺し殺したのです。
帰還するや否や、エフデは、イスラエルの軍勢を率いて、モアブの駐留軍に襲いかかりました。
1万の兵を打ち倒し、ヨルダン川西岸を取り戻したのです。
この後、士師では最長の80年の平和がエフデの下にもたらされました。
一時期は滅亡に瀕したベニヤミン族。その子孫エフデを主は憐れみの内に用いられたのです。
三人目の士師シャムガルは、「シミグ神が賜った」というです。偶像神の名が付けられているのです。
父アナトもまた偶像神の名です。シャムガルは、偶像崇拝に浸りきった環境で誕生したことがうかがえます。
シャムガルの武器は、牛の突き棒でした。2mほどの棒の先に金具がついただけのものです。
偶像神の名を持つ牛飼いが、貧相な武器で、強敵ペリシテ人600人を討ったのです。
3.戦う力は主から来る 第一に聖霊に満たされよう
オテニエルをピークに、士師の性質は劣化していく一方です。
ベニヤミン族の聖絶という最悪の出来事から始まり、最悪の士師サムソンで終わる。それが士師の時代の厳しい現実です。
信仰者も、残った罪の性質ゆえ、落胆と失望から逃れることはできません。
絶望こそが士師記のゴールです。しかし、絶望は絶望では終わりません。
絶望こそが、本当の救いの始まりです。自分の心の貧しさを思い知った者は、神の幸へと導き入れられます。
士師の時代にも残された信仰者はいて、希望の火は灯され続けました。
絶望の中で示されるのは、ただ主にすがるしかないということです。自分の弱さを思い知らされて、私たちは真実の主に出会わされます。
主は、最悪の士師の時代をも根底で支え、民を悔い改めに導かれました。
今この背教の時代をも、主の御手は、変わることなく支え続けているのです。
悔い改め、主を呼び求めるなら、御霊がこの身を心を満たして行きます。
裸にされた心で、主のみ元に立ち返りましょう。栄光の主の御顔を仰ぎ見ましょう。
主が慈しみの御手で包み込み、再び立ち上がらせてくださいます。