十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

受難週 マルコ福音書14章 ゲツセマネの祈り 「まだ眠って休んでいるのか」

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


【メッセージアウトラインPDF・資料はこちら➡】受難週_210327

 

1.史上最大の霊的戦い マルコ14:32~42

オリーブの絞り場であるゲツセマネで、イエスは自らの命を砕いて、最後の祈りをささげようとしていました。

主イエスが、驚愕し、苦しみもだえたのは、父なる神との断絶の本当の意味を知らされたからです。一体誰が、愛する人との断絶を願うでしょうか。

神の子すら未経験の苦しみ。しかし、主イエスは、神の怒りの杯を飲み干すと決断されます。

この時、史上最大の霊的戦いの勝敗が決しました。以降、主イエスは、まっすぐに十字架へと向かって行かれます。

戦いの見届け人を任せられながら三度も眠りこけた弟子たちは、メシアの苦しみの現実を拒絶しています。彼らは、霊的に完全な敗北を喫したのです。

 

2.弟子達の敗退 マルコ14:32~42

兵士たちを連れてやってきたユダは、手はず通り主イエスに口づけし、その身を捕らえさせます。

手下に斬りかかったペテロ。しかし、失地回復には遅すぎました。霊的戦いに、剣など何の役にも立ちません。

主イエスは、自ら捕らえられました。この場を支配し、導いておられるのは、天地万物の支配者である主ご自身です。

 

弟子達は皆、逃げ出しました。

亜麻布のおしゃれ着をまとった青年マルコは、捕まりそうになると裸で逃げました。

露わにされた恥ずかしい姿は、人の弱さと愚かさを突きつけます。

 

3.敗北を認め、勝利者になろう

霊的戦いとは、「悪霊よ出て行け」と外に向かって叫ぶことではありません。

戦いの本質は常に私たちの内にあります。己の罪に向き合うなら、私たちは容赦なく敗北するでしょう。

しかし、完膚なきまでに叩きのめされたなら、勝利に導かれます。主に依り頼むしかないと思い知らされるからです。

 

自らの罪を認め、十字架の贖いと復活の福音を信じ、告白した時、私たちの人生最大の霊的戦いの勝敗は決しました。

裁きからの救いを得、永遠の命は確定されています。あとはただ、自分の十字架を担ぎ、粛々と歩んでいくだけです。

 

情けない自分の罪を突きつけられた時には、敗北者に過ぎない自分の原点に立ち返りましょう。

世にあって誇るものなど不要です。なぜなら、この私を、主が永遠の勝者とされたからです。

心に刻まれた、十字架の勝利をがっしりと握りしめましょう。

 

十字架を負うとは、世にあって恥を受けることです。主イエスが唾を吐きかけられたように、世の人はあなたをあざ笑い、見下すでしょう。

主の前でかいた以上の恥はありません。世の失敗を恐れず、十字架の主イエスの勝利を高らかに宣言しましょう。

信仰生活の停滞の本当の原因は、主への敗北宣言を拒む、あなたのつまらないプライドです。弱さを言い訳にするあなたは、弱さの自覚を拒絶しています。

私たちの弱さも罪も知り尽くされ、ひとり戦われた主が、今、行きなさい、と告げられています。ただ主を信頼して、歩み出していきましょう。

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