聖徒伝82 サムエル④ Ⅰサムエル8~10章 油注ぎ サウル王の誕生
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1. 王を求めた不信仰の民 8章
イスラエルの民は、サムエルの高齢と息子たちの不法を口実に、王を立てることを要求します。
民は、真の王である神を拒む、重い罪を犯したのです。
にも関わらず、主は受け入れられました。
神は、本意ではない私たちの願いをあえて聞かれることがあります。これを「許容的御心」と言います。
許容的御心とは、痛い目に遭わなければ分からない、という一つの戒めです。
王が民に与える重い負担がサムエルを通して告げられますが、それでもなお民は王を求め、認められたのでした。
2. サウルとサムエル 9章
ベニヤミン人サウルは、父に命じられ雌ろばを探しますが、見つかりません。
しもべの提案を受け、サウルは、予見者サムエルに会って尋ねようとしました。
サウルは、父に従順で素直な一方、神の人との対面に、しもべが持ち合わせた、わずかな献金でよしとしています。
このエピソードには、彼の器の小ささが表されているように感じます。
また、サウルは、サムエルと出会っても、この人と分からず、予見者の家はどこですかとたずねています。
サウルの霊的感性の低さもうかがえます。
しかし、このサウルにサムエルは、全イスラエルの視線が注がれていると告げました。
主がサウルを王として選ばれた。サウル自身にも、理解しがたいことでした。
サムエルは、最上のご馳走でサウルを迎えると、律法に基づいて、イスラエルの王の定めを教え始めたのでした。
3.サウルの油注ぎ 10章
サムエルはサウルに油を注ぎ、きよめ、神からの王権を授与しました。
「油注ぎ(メシアッハ)」が、メシアの語源です。聖別された究極の王が、主イエス・キリストです。
サムエルは、三つの出来事が起きることをしるしとして予告しました。
何より象徴的な三つ目のしるしは、ギブアの町で、サウルに神の霊が激しく降ることでした。
ギブアは、かつてベニヤミン族が重罪を犯し、厳しいさばきを招いた、その町です。歴史を支配される主の憐れみを感じます。
サムエルは、全イスラエルを集めます。サウルは、王として選出されたその時、荷物の間に隠れていました。
民の誰よりも背が高く、美しい容貌だったサウルの本質が現れています。
4. 主の選びに応えて踏み出せ
神は、約束に基づく一方的な恵みによってイスラエルを選びました。
アブラハム、モーセ、少年サムエル…。皆、何者でもない小さな一人でした。
自己評価の低さ、自己肯定感の弱さ。願う自分とのギャップに苦しむ私たちがいます。しかし、主にとっては、何一つ関係がないのだと教えられます。
主の前に告白しましょう。
「私にはなにもありません。私にできません。しかし、主が助けてくださるならば、できないことはありません」と。
福音を信じて新生した身であるならば、あとはただ、主に委ねて歩み出すだけです。
主が見ておられます。物陰から外へ、踏み出しましょう。
後の王ダビデの言葉が心に響きます。
「詩篇8:4 人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」
主が一方的に、私をあなたを選び出されました。この恵みに応えて、信頼して歩み出す者でありたいと願います。