聖徒伝161 イザヤ書3~4章 イスラエルの残れる者
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1. 主の日の裁きときよめ 3~4:1
神からの直々の宣告。罪の結果、イスラエルは権威も、秩序も失い、混乱の極みに陥ります。
指導者の不在は、彼らの悩みの種であり続けてきました。真のリーダーは、主が立てられます。
主を知る者に、不従順の言い訳の余地はありません。各々が言行の報いを受けます。
刈り取りの時は来るのです。
主の裁きは先ず、指導者に告げられます。民を虐げ、搾取していた、彼らの罪は重いものです。
贅沢に溺れていたシオンの娘たちから、あらゆる飾りが取り上げられます。
世のものや偽りの言葉で飾り立てた信仰など虚しいだけ。
神を忘れた神の民は、主の日、完全な喪失を味わいます。
2. 残れる者の希望と命 4:2~6
終末の大患難を生き残ったイスラエルは回心に至り、メシアが再臨されます。
人々の名は、エルサレムに生きる者として永遠に記されます。
出エジプトの時のように、都に再び神の栄光が臨在され、すべてのイスラエルは、憩い、安らぎます。
何より主イエスご自身が都の栄光となられます。
3. イスラエルの残れる者
大洪水で残ったのは、箱舟に乗ったノアと家族8人でした。
荒野の40年を生伸びたのはヨシュアとカレブ二人です。
背教と混沌の時代、預言者イザヤに主が示されたのは、7千人の信仰者がなお残されているということでした。
バビロン捕囚後、残された信仰者たちが帰還し、神殿を再建しました。
大患難時代後半、反キリストの大迫害を生きのびたイスラエルが、救われます。
彼らは、メシアが建てた王国の都エルサレムで神の平和を享受します。
4. 残れる者の自覚をもって
過去から未来まで、主の計画は、イスラエルの残れる者を通して進みます。
主は、残れる者の信仰ゆえ、イスラエルに憐れみを注ぎました。
イエスをメシアと信じたのも、残れる者たち。
その系譜に接ぎ木されて、異邦人クリスチャンの私たちの今があります。
クリスチャンもまた、残れる少数者です。
教会時代は、パン種(偽りの教え)が膨らみ、麦と毒麦が混在します。
回心者を探すのは、畑の宝、海の真珠を探すようなもの。真の信者は常に少数です。
見た目の数や規模に惑わされないようにしましょう。
残れる者は常に少数。聖書でリバイバル、霊的覚醒が約束されているのは、大患難時代においてのみです。
キリスト教国でも、本当に信じている残れる者は、ごく少ないのでしょう。
残れる信仰者の孤独な戦いは、イザヤの時だから変わっていません。
主イエスは、世の終わりが近づくほど、戦いは厳しくなる一方だと告げています。
内住される聖霊に依り頼み、ひたすら御言葉にすがり、一つのキリストの体なる真実の教会に、しっかりとつながっていきましょう。
過去・現在・未来の、すべての聖徒が、私たちの真の兄弟姉妹です。
時をも越えて、すべての残れる信仰者と主がいつも共にいてくださいます。