聖徒伝163 イザヤ10~11章 エッサイの根 メシア預言 230101
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1. アッシリアへの裁き 10章
神は、アッシリアを裁きの器として、砂嵐のように北王国に侵略させます。
一方でアッシリア王は、傲慢にもイスラエルの唯一の神を侮り、裁きを招き、アッシリア捕囚の百年後に滅びます。
イスラエルが真実の帰還を果たすのは、大患難時代の裁きを経た後です。
南王国も、アッシリアの猛攻を受けますが、かろうじて侵略を免れます。
2. エッサイの根・千年王国 11章
「エッサイの根株から新芽が生え」とは、ダビデの子孫に誕生するメシアのこと。
メシアは神の霊である聖霊と完全に一体となって働かれます。
メシアは慈悲深く公正に信仰者を治め、不信仰者に厳しい裁きを下します。
メシアの王国では、猛獣も草を食べます。天地創造当初のエデンの園の状態が地上に回復されるのです。
そして主の知識が全地に満ちます。誰も主を知らないなどと言いません。
エッサイの根・メシアは、全民族を治める王となり、神の栄光を輝かせます。
大患難時代の裁きの後、世界中に散らされていた残れるイスラエルの民は、新生した都エルサレムへ集められます。
イスラエルもユダも完全に一つの民となり、敵を破り、諸民族を支配します。
エジプトの大河が干上がるとは、人間的な富や繁栄が完全に失われること。
残されたイスラエルの帰還のため、栄光の主が大路を備え、凱旋を導かれます。
3. 神の永遠の視点で今に向き合おう
今の時代を生かされている人間の最善は、福音を信じて永遠の神との平和を得ること。
最悪は、主を拒み通し、神の怒りを受け、永遠の滅びに至ることです。
世の終わりの裁きを経ずに、神の国は来ないように、戦いを避けては、私の平和を勝ち取ることもできません。
私の戦いはどこにあるでしょうか。
預言の対象は第一に、神の民イスラエルです。
主を信じない人に罪があるのは当然、問われるのは信仰者です。
クリスチャンはまず第一に、自分自身の罪を突きつけられます。
さらには、共に歩むクリスチャンの家族の罪、地域教会の兄弟姉妹の罪が問われます。
まさか、という、自分と他者の罪に直面する、避けがたい戦いがあります。
自分が、家族が、教会の兄弟姉妹が、それぞれに、突きつけられる自分の罪を向き合い、悔い改めつつ歩んでいる。
その限りにおいて、一つの家族、一つの地域教会が、保たれていきます。
罪と直面することを拒む人は、自ずと共に歩めなくなります。
そのような別れは、地域教会に避けがたくあります。
家族の平和も、教会の平和も、罪との戦いの結果、与えられていくものです。
神を知る真実の知識を手に、戦いのただ中に身を投じていきましょう。
主の前にひざまずき、へりくだる者にこそ、主は力を与えられます。