Q:三位一体って? 難解? 不可解? 非理性的?
目次
Q:三つだけど一つで、一つだけど三つって、どう考えても矛盾してますよね。聖書にも三位一体なんて書いてないとも聞きましたけど?
1.次元を超越した存在なら可能です!
完全に一つだけど、独立している。この世界では成立しようがありませんが、より高い次元ては、どうでしょうか?
例えば、一枚の紙の両端に記された、AとBの両方の地点に同時にいることは、二次元の世界では不可能です。
しかし、3次元では、それが可能になります。紙を曲げてA地点とB地点を重ねればいいのです。
二次元の空間を、三次元上でねじ曲げるわけです。
この世を超越した創造者が、この次元を超越した原則によって存在していると考えるのは、非合理的なことでしょうか?
2.概念は、確かに聖書にあります!!
三位一体という言葉自体は、2世紀にテルトゥリアヌスという教父が使い始めた神学用語です。この概念を表現する言葉がないので新たに作ったのです。
三位一体の中心は、イエスは100%神であり、100%人であるということ。この概念自体は教会の当初からありました。
父と子と聖霊を礼拝の対象とし、子なるキリストは唯一の神である、と告白する信仰を、テルトゥリアヌス以前の教父たちも表明しています。
聖書において、弟子のトマスは、復活のイエスと出会った際、「わたしの主、わたしの神よ」と叫んでいます。(ヨハネ20:28)
ヨハネ1章には、イエスは創造の前から存在した「ことば」であり「神であった」と明示されています。
紀元前のギリシャ語訳旧約聖書・70人訳において、旧約聖書における神の固有名詞「ヤハウェ」が「主(キュリオス)」と訳され、新約聖書でも採用されています。
主イエスという呼び方自体が、イエスが唯一の神、ヤハウェであることを明言しています。同様に聖霊も、父、子と同格の扱いをされています。
3.真実だからこそ、そのままに記されているのです!!!
教会を攻撃する人の多くが、三位一体を非難し、聖書にはない、人が作ったのだと言います。
しかし、作り話をするなら、なぜ、もっと解りやすい受けのよい、教理を作らなかったのでしょうか?
イエスの復活の最初の目撃者は、当時、証言者としての資格がなかった女性たちでした。この事実は、それが真実であることを物語っています。復活が作り話なら、人々が信じやすいように第一目撃者は男性にしたでしょう。
この世界では成り立ち得ない三位一体という概念が教理として採用されているのは、そうとしか聖書に書いていないという、極めて単純な理由からです。