Q:「神の国」「天の国」って、なんのことですか?
目次
神の国? 天の国?
「神の国」、マタイ福音書では「天の国」とも記しますが、同じことです。
イエスの宣教開始の宣言が、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マコ1:15)」でした。
ここでの神の国とは何か? 実は、神の国が指す内容には、5つあります。
どの神の国のことを言っているのか、分からないと混乱してしまいますので、神の国について、しっかり理解しておくのは大切です。
①. 永遠の王国・天の神の住まい
始まりも終わりもない神の世界、神が住まわれるところとしての神の国です。
神の支配は、時と空間を超えて、すべてのところに及びます。
Ⅰ歴代誌29:11~12
29:11 【主】よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。【主】よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
29:12 富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。
②. 霊的な王国
すべての真の信者たちが形作っている神の国。生きている人も亡くなった人も含みます。
信者の心に、神の支配が宿っている、ということです。
マタイ6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
③. 神政政治の王国・イスラエル王国
地上にできた神の民の王国であるイスラエルも「神の国」です。
正確には、律法授与されたモーセの時代から、バビロン捕囚までのイスラエルを指します。(出20章~Ⅱ歴36章)
④. 奥義としての王国 ≒ 教会
奥義としての王国の時代は、メシアがイスラエルによって拒否された時から、イスラエルが悔い改めてメシアを受け入れる、再臨の時まで続きます。
イエスは、悪霊の頭の力で奇跡を行っているとされ、メシアではない、と、イスラエル議会によって公式に拒否されました。
ベルゼブル論争と呼ばれる出来事です。(マタイ12:22~32)
これ以降、イエスは、公の場では、たとえ話で、語り始めました。
解説を聞かなければ意味が分からないのが、たとえ話です。イエスに従う弟子たちだけが、たとえ話の本当の意味を聞くことができたのです。
種蒔く人のたとえを皮切りに話された一連のたとえ話は、奥義としての王国時代の、地上における「神の国」、教会時代の教会についてのたとえ話です。(マタイ13章)
たとえ話における「神の国」は、おもにペンテコステ・聖霊降臨から始まる地上の教会を指しています。
また、ここでの教会は、地上に実際にある宗教組織としての教会、キリスト教世界(キリスト教界)のことです。地域教会とも呼びます。
イエスは、パン生地(教会)に、パン種(偽りの教え)が入り込んでふくらむこと。小さな種から木のように大きく成長した、からし種の木(教会)に、鳥(悪魔・悪霊)が巣を作って居座ることなどを、たとえ話として語りました。
その意味するところは、教会(キリスト教界)は大きく成長するけれど、偽りの教えも入り込んで、悪魔が居座るようになる。ということです。
現実の地域教会には、この時代の終わりの時まで、良い麦(本物の信者)と毒麦(偽の信者)が入り交じった状態が続くのです。
たとえ話を通して、イエスは前もって、奥義の王国の時代の教会への警告を与えているのです。
(※厳密に言うと、「奥義としての王国の時代」は、メシアが拒否されたベルゼブル論争の時から始まって、メシアが受け入れられる大患難時代の最後、イスラエルの民族的回心の時までです。一方、「教会時代」は、ペンテコステの聖霊降臨から始まって、真の信者からなる真の教会が天に挙げられる携挙まで。教会時代の方が、範囲が狭まります。このような微妙な違いはありますが、大枠で捕らえる時には、ほぼイコールと考えて差し支えないと思います。同じ事柄でも、見る角度、距離によって見え方は違ってきます。ざっくり俯瞰しながら、全体をつかめたら、というのが、この記事の意図するところです。)
⑤. メシア的王国・千年王国
「奥義としての王国の時代」の終わりに、メシア(キリスト・イエス)が再臨され、地上から悪を一掃し、世界を造りかえられます。
世界は、人類の堕罪前のエデンの園の状況に回復されるのです。
この理想の楽園もまた、「神の国」です。千年王国、あるいは、メシア的王国とも言います。
この千年王国に、すべての信者は、復活の体を与えられて住みます。
黙 20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。
当時の人々が待ち望んだ神の国は?
イエス時代のイスラエルの人々が待ち望んでいた神の国は、⑤の千年王国・メシア的王国、でした。
メシアが現れ、王の王となり、イスラエルが世界を治める。そして、イザヤ書11章にあるような楽園に世界が変えられる。
このメシア的王国・神の国を、当時のイスラエルの人々は待望していたのです。
今、神の国は、主を信じる私たちの内に、共にある!!
ところが、イスラエルが、公式にイエスがメシアであることを拒否した時、⑤の神の国(メシア的王国)の実現は、はるかな未来に先延ばしにされました。
この空白を埋めるべく起こされたのが、④の神の国、すなわち奥義の王国の時代です。今の時代にあっては、信者の群れである教会が、地上の神の国です。
奥義とは、それまで隠されていたという意味です。
教会は、メシア再臨後に実現する神の国、千年王国の先取りでもあるのです。
究極的には、すべての神の国が一つに
メシア再臨から千年の後、すなわち千年王国の最後に、白い御座の裁きと呼ばれる最終的な裁きメシアによって行われます。
これにより、悪が完全に裁かれた後、天のエルサレムが地上に降ります。
天地が一体となった、新天新地こそ、究極の「神の国」だと言えるでしょう。
【※神の国のタイムチャートを動的にまとめてみました。ご参考まで↓】
【参考記事】
神の国について詳しく知りたい方は、下記のHPがオススメです♪
メッセージステーション メシアの生涯68 たとえ話で教えるイエス
Comment
私の中でぼんやりしていた神の国が整理されてよくわかりました。有難うございます。1・2・4は今存在している天国ですね。2は1に含まれますか?4は神の国というイメージとは遠い気がします。私の問題でしょうか。
コメント、ありがとうございます♪
2は、1とは、別です。2は、5の千年王国に合流します。
2と4が一緒になって、5の千年王国になる、というイメージです。
…ちょっと、図を書き換えた方がいいかもしれないですね。
正確に言うと、2の召された信者と4の携挙されたまことの信者たちが、共に5の千年王国に住むようになります。
4の地上における神の国、教会は、良い麦と毒麦が入り交じるところですから、混沌とするのは避けようがないですよね…。
それでも、5の千年王国の先取りとして、キラリと光るものを現すのが、4の教会だと思います^^