動画&まとめ ⑧マルコ6:30~56「主の食卓に招かれている私たち」~5千人の食事の奇跡と神の国~
1. 5千人の食事の奇跡 6:1~6
イエスは、派遣から帰還した弟子たちを連れ、ベツサイダの外れの辺境へ行かれました。
先回りして待っていた群衆の、指導者もなく、さ迷う姿を、イエスは深く憐れみ、教えられます。
夕刻頃、人々を解散するよう申し出る弟子たちに、イエスは、「あなたがたで」食べさせよと命じます。
弟子たちは、それには200日分の労働賃金が必要だと戸惑いました。彼らが確保したのは5つのパンと2匹の魚だけでした。
季節は春。イエスは、青草の上に50人、100人とまとめてで座らせます。それは、花壇を植えたような光景でした。
イエスは天を見上げ、父なる神への完全な信頼を持って祈りました。そしてパンを割き、弟子たちを通して人々に配り始めたのです。
パンと魚は、人々を完全に満たすまで増え続け、残りが12のかごにいっぱいになりました。
この奇跡は、教会時代のひな型です。主イエスの命のパンである福音は、弟子たちを通して人々に伝えられ、最後には、イスラエルの民族的救いに至るのです。
この奇跡は、4つの福音書すべてに記された唯一の奇跡です。いかに大切な真理を表しているかがわかります。
2. 湖上を歩くイエス 6:7~13
この後すぐ、イエスは弟子たちを強いて船に乗りこませて出発させ、群衆を解散させると、山に向かわれました。
この時、人々は、イエスを王に担ぎ上げようとしたのです(ヨハ6:14)。
しかし、ユダヤ議会がメシアを拒絶したために、イエスが王となる時は、はるかな将来に延ばされていました。
強い向かい風に、湖の真ん中に流された弟子たちは、一晩たっても身動きできませんでした。
湖上を歩いてきたイエスを見て、幽霊だとおびえた弟子たち。
唯一の主だけを信じるユダヤ人にはあるまじきことであり、弟子たちの信仰の後退ぶりがよく現れています。
「わたしだ(I am)」は、イエスの神聖宣言です。メシアであるイエスは、神である。しかし弟子たちはまだ誰も、その真理を理解してはいませんでした。
3. 教会時代に私たちの悟るべきこと
イエスは神であり、教会時代の今、信者一人一人が福音宣教の主体です。世の終わり、メシアを拒んだイスラエルが悔い改め、民族的救いに至ります。
私たちが人々に配るべきパンとは、命の御言葉である福音です。福音宣教こそ、私たちの使命です。
異邦人クリスチャンである私たちは、イスラエルにねたみを起こさせ、物的支援をし、彼らの悔い改めを願い、祈っていくよう求められています。
これは、主の命令です。納得するからする、しないではなく、従うか拒むか、「はい」か、「いいえ」だけの問題です。
従う者には、来たるべき神の国で、主イエスと共なる食卓が、約束されているのです。