動画&まとめ ㉔マルコ14:53~72 栄光と共に来られる主 イエスの宗教裁判とペテロの否認
1. イエスの宗教裁判 14:53~65
過越祭の深夜、大祭司カヤパの官邸で急遽開かれた、ユダヤ議会(サンヘドリン)による違法な裁判。
証拠も上がらず、進まない審議に業を煮やした大祭司は、黙秘するイエスに、主の御名によって返答を迫りました。
「わたしはある(エゴー・エイミ)」は、モーセに明かされた主の名と同じであり(出3:14)、イエスの神性宣言です。
「人の子が、力ある方の右の座」 、すなわち神と等しい権威をもって、「天の雲」神の栄光(シャカイナグローリー)に乗ってくる。
このようにイエスは、裁き主として再臨されることを宣言されました。
激怒した大祭司は、イエスの宣言を正しく理解した上で、神への冒涜だと叫びました。
しかし、冒涜罪の成立には、神の名(ヤハウェ)が口にされる必要があります。
主イエスの宣言は真実であり、拒む者を待ち受けるのは、神の裁きです。
叩かれ、平手打ちをされ、つばをかけられ、通常ありえない屈辱をイエスは受けられました。
2. ペテロの否認 14:66~72
カヤパの私邸の中庭に、潜り込んでいたペテロは、裁判の様子も目の当たりにしていたことでしょう。
そこでペテロは、屋敷の女奴隷に、この人はイエスと一緒にいた、と言われます。
何を言っているか分からないと、ペテロが最初に否定したのは、第一の鶏が鳴く零時頃だったかと思われます。
さらに1時間ほど後、「あの仲間だ」と言われ、ペテロは誓って打ち消しました。
ユダヤ人の誓いとは、嘘なら神に打たれて死んでもいいというものです。
そして三度目、ガリラヤなまりを指摘されて、「あの仲間だ」と言われたペテロは、呪いをかけて誓い、イエスを知らないと拒みました。
聖書でいう「呪い」とは、相手に、神との断絶、死、滅びを願うことです。
この時、まさに主イエスは、すべての人に見捨てられ、神との断絶に向かわれていました。
時は午前4時頃。二度目の鶏の鳴き声を聞いたペテロは、イエスの言葉を思い出し、泣き崩れたのでした。
3. 私たちの戦い 敗退の理由・勝利の鍵
ゲツセマネで主イエスは、ご自身の歴的戦いに勝利されました。
一方、ペテロは、カヤパの私邸で、自分の霊的戦いに敗北しました。人は、自分自身の力では、決して悪に打ち勝てません。
三度目の拒絶の時、主が振り向いてペテロを見つめられました(ルカ22:61)。
イエスと目があったということは、ペテロがイエスの方を見た、ということです。
ペテロは、主イエスを仰ぎ見たからこそ、そのまなざしに触れ、主の言葉を思い出し、悔い改めに至ったのです。
「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。Ⅱコリ3:16 」
悔い改めたペテロは、主が自分のために祈り、守られたと知りました。
そして、兄弟を力づけるために、自分の犯した罪と主の赦しを、告白していったのです。
ただ主を仰ぎ見、主を信頼して歩み続けていくものでありたいと願います。
「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。ルカ22:31,32」