Q:リバイバルって、ホントに起こるんですか?
目次
Q:リバイバルが来る来るって言われて何年? いつか、日本でクリスチャンがどか~んと増えるって、ホントですか?
1.リバイバルとは?
リバイバルとは、「信仰復興」という意味です。18世紀のアメリカで、クリスチャンの大覚醒運動が起こったのがその発端だと言われます。
厳密には、キリスト教国でない日本には、リバイバルという言葉自体、ふさわしくないかもしれません。
中川健一氏は、「霊的覚醒」という言葉を使われていますね。
いずれにしても、日本において、「リバイバル」という場合には、“日本人に霊的覚醒が起こって、クリスチャンが激増する。”そういう意味で使われていると思います。
まずは、リバイバルを、「急激なクリスチャンの増加」という意味で考えていきたいと思います。
2.リバイバルは、新約聖書にある?
リバイバル(信者の激増)ということで思い起こすのは、使徒2章のペンテコステの出来事です。
弟子たちに聖霊が降り、ペテロが立ち上がって福音を告げ、民に悔い改めを迫ると、3千人が信じました。しばらく後には、5千人が信じています。
確かにすごい数です。が、イスラエルの三大祭には100万人以上が集ったとも言われます。3千人は、0.3%に過ぎません。5千人を足しても1%未満です。
イエスの十字架の死を目撃し、地を覆った暗黒や大地震などの天変地異を経験したイスラエルの民なのに、これだけしか信じなかったのだと愕然とさせられます。
これ以降の使徒による伝道で、これほどの数が信じた場面はありません。
使徒パウロの伝道旅行で、最大の成果をあげたのが、小アジア(現在のトルコ)にあったエペソの町でした。
人数は記されていませんが、エペソで魔術を行っていた者たちが焼き捨てた書物の総額が銀貨5万枚に達したとあります。
魔術書を焼き捨てた、とは、偶像礼拝を悔い改めて、聖書の唯一の神を信じたということでしょう。
実際に、どれだけの人が、信じたのか? 焼き捨てられた書物の総額から、検証してみました。
銀貨1枚が、ローマ通貨の1ドラクメとすると、2枚でユダヤの1タラントン(当時の労働者の日給分)にあたります。仮に1タラントン=1万円とすると、銀貨5万枚は、2億5千万円。
当時の本は大変高価で、パピルス紙1枚が5千円くらいの価値があったと聞いたことがあります。
1冊100頁として換算すると、2億5千万円の書物は、500冊分。一人2~3冊捨てたとすると、100~200人くらいです。あれ? そんなに多くないですね?
エペソの信者の内、高価な本を所有しているような富裕層の割合がどれくらいだったか分かりません。
エペソの信者は、せいぜい何百~何千の範囲だったのではないでしょうか?
使徒行伝には、多く人が使徒の話を聞いていた、という場面が度々ありますが、使徒の時代の教会は、家の教会です。
ぎゅうぎゅう詰めに集っても、数十人から100人というところでしょう。
信徒の激増という意味でのリバイバルは、使徒の時代には、起こっていない、と言えます。
3.イスラエルにリバイバルはあった?
イスラエルの歴史においては、どうだったのでしょうか?
イスラエルとは、神が選ばれたアブラハム、二代目イサク、三代目ヤコブの子孫です。
イスラエルは、血統によるものであり、彼らは、信じてイスラエルになったわけではありません。
イスラエルに、リバイバルをあてはめるなら、「信仰復興」という意味で考えるべきでしょう。
①イスラエルの信仰復興
イスラエルの大きな信仰復興というと、いくつかの場面が思い浮かびます。
出エジプトの後、シナイ山の麓に宿営し、モーセの帰りを待っていたイスラエルは、金の子牛を作り、偶像礼拝の罪を犯します。
その後、裁きを受け、悔い改めたイスラエルの民は、喜んで捧げ物をし、幕屋建設に従事しました。
イスラエル王国が偶像崇拝のために分裂した南北時代、南王国(ユダ)に登場した、神に従う善王の治世には、それぞれ信仰復興が行われています。
繰り返され、悪化していった偶像礼拝の末に、バビロン捕囚にいたったイスラエル。しかし、70年の解放後、エルサレムに帰還した民は、神殿と城壁を立て直し、律法を読み上げると、神への従順を誓いました。
ペンテコステにエルサレムで起こった教会誕生の出来事も、このイスラエルの信仰復興の一つと言えます。
イスラエルの民の多くを悔い改めに導いた信仰復興。しかし、それは、いずれもつかの間の出来事に過ぎませんでした。
②いつの時代も少数だったイスラエルの真の信仰者
出エジプトの時には、成年男子が60万人いました。しかし、その中で真の信仰者となると、どうでしょう…。
神への反逆を繰り返した、モーセの世代のイスラエルは、カレブとヨシュアを除き、一人も約束の地に入ることはできませんでした。神の直接の裁きを受けた者も大勢いました。
偶像礼拝が蔓延し、混迷を極めていった北王国のただ中で、預言者エリヤに主が語られたのは、7千人の残れる民がいるということでした。
仮に、北王国の当時の人口を、100万人と少なめに見積もっても、1%にも満たない人数です。
③イエスの公生涯においては?
イエスの弟子として人数が記されているのは、使徒12人、70人、そして、ペンテコステの時にエルサレムで祈っていた120人だけです。
あまりにも少ない弟子たちを、主イエスは、小さなものの慣用句だった、からし種にたとえています。
キリストの体なる教会は、小さなところから、大きく成長するけれども、そこには、鳥(悪魔)が巣を作る。教会には、パン種(偽りの教え)が、入って、膨らむ。それが主イエスの警告です(マタイ13:31~33他)。
4.教会時代の現実を受け止めよう
主イエスの警告に従えば、信者の急増は、偽の信者の激増をも同時に伴うものです。単純に歓迎できるものではありません。
ローマによるキリスト教の公認と、それに続く国教化は、クリスチャンの激増をもたらしましたが、名ばかりの偽の信者を大量に生み出す結果ともなりました。
近年においても、短期間の信者の激増を経験した国々がありますが、一方で異端や教会のカルト化の問題もまた、頻出している現状があります。
「宣教師の墓場」などとも言われ、長年の伝道にも関わらず、1%の壁を越えられないのが、日本の現状です。
しかし、1%というのは、実は、極めて現実的な数字と言えるのかもしれません。
5.主にある兄弟姉妹の関係の中で
聖書で、リバイバルが約束されているのは、大患難時代においてです。
悔い改めた14万4千人のユダヤ人によって世界宣教が行われ、かつてない数の人々が福音を信じて救われます。
一方、反キリストによる大迫害が起こり、多くが殉教します。この殉教者たちを、おびただしい数の大群衆だと黙示録は記しています。
信仰復興ということで言えば、大患難時代の最後の戦い(ハルマゲドン)で、ユダヤ人は、ナザレのイエスこそ、自分たちのメシアだと民族的な回心にいたります。
何百万ものイスラエルが、福音を信じて救われるのです。
聖書の預言に従えば、日本にも必ず、リバイバルは来ると言えます。
リバイバルは、この教会時代のあいだには来ないかもしれません。
しかし、遅くとも大患難時代には、多くの日本人が福音を信じて救われ、殉教の死を遂げていくでしょう。
それまで1%の壁が破られることはないかもしれません。
一人が信じるのも、多くが信じるのも、神様の御業によるものです。
いずれにせよ。私たちのなすべきは、主の約束を信頼して、福音を宣言し、聖書を解き明かしていくこと、それだけです。