十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:教会は、どうして問題だらけなの?

2023/03/17
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:人間関係のゴタゴタは絶えないし、どうして教会って?
一人で礼拝守ってれば、よっぽど気も楽だし、もうこれでいいかな、と…。

1. 教会は最初から問題ありありでした!

120人の弟子たちが祈っていたところ、聖霊が降り、ペテロの説教に悔い改めて、3千人のユダヤ人が主イエスをメシアと信じました。

ペンテコステ、教会誕生の出来事です。

そうして始まった教会で、信者は皆、心を一つにし、一切のものを共有していました(使徒2:44)。よく取り上げられる理想的な教会の姿です。

それも束の間。

5章では、アナニヤとサッピラの夫婦が、献金を偽って裁かれるという大スキャンダルが起こってます。

6章では、食料配分をきっかけに、教会内で対立が生じています。

新約聖書のいろんな書簡には、指導者の背教、信者の姦淫、倫理的堕落、内輪もめ、信者同士の差別や排斥、指導者批判と、様々な問題が赤裸々に記されています。

今の教会が抱える様々な問題は、初代教会の時点ですでにあったのです。

 

2. こうなることは、主イエスが通告済み!!

主イエスは、イスラエルに公式に拒絶されて後、公の場では、たとえ話で話されるようになりました。

弟子たちだけが、イエスの解説を聞き、真理を知ることができました。それがたとえ話です。

一連のたとえ話のメインテーマが、地上における神の国教会です。

からし種のたとえ、パン種のたとえが現しているのは、教会は、大きく成長するけれども、偽りの教えも入り込んで、はびこるということです。

教会内に、良い麦(真の信者)と毒麦(偽の信者)が混ざり合い、それは、教会時代の終わりまで続くのです。

 

3. 霊的戦いの最前線が教会です!!!

ヨハネ福音書の大きなテーマの一つが、光と闇の戦いです。

神の勢力に対して、悪の勢力が常に戦いを挑んでいる。悪魔・サタンの最大の意図は、神の計画を妨げることです。

悪魔はまず、創世記3章15節で示された「女の子孫(救い主)」の誕生を阻止しようとしました。

救い主が、アブラハムの子孫から誕生すると分かると、イスラエルが、妨害の対象となりました。

 

悪魔の妨害は、外敵を通してもやってきますが、イスラエルを何より悩ませ続けたのは、内部に起こる背教や対立でした。

イスラエルの歴史は、犯した罪の足跡とも言えるような、生々しい事件が絶えません。その背後には、常に悪魔の働きがあったのです。

いよいよ救い主・キリストが誕生した時には、悪魔は総力を挙げて、その働きを阻止しようとしました。

主イエスは、十字架にかけられ、復活し、昇天されました。

 

そうして地上に教会が誕生した後には、教会が、悪魔の攻撃対象になりました。

今の時代には、教会が、悪魔の攻撃にさらされる、霊的戦いの最前線に置かれているのです。

教会への悪魔の攻撃は、どのようにされるか。

迫害という外的な攻撃もありますが、最も激しいのは、教会内部への攻撃です。

 

信じて救われ、新生したとは言っても、一人一人の信者の中には、古い罪の性質が残っています。

その中でも、とりわけ弱いところを、悪魔は足がかりにします。

ある人にとっては、金銭欲だったり、性欲や支配欲だったりします。

地上の支配者である悪魔は、従う者に、物的報酬を与えることができます。

最高位の天使だった悪魔には、見せかけの奇跡を起こして、人の心を惑わすのも、たやすいことです。

 

教理的混乱を引き起こすのも、悪魔の常套手段です。

神からの一方的な恵みである救いを、業(わざ)に対する報酬だと感じさせ、信者の努力の方向性をねじ曲げてしまうのです。

教会内部に、一人のクリスチャンの内に、時として、世の中と比べても驚くような大きな罪が現れることがあります。

その背後には、教会の働きを妨げ、切り崩そうとする、悪魔の強力な働きかけがあるのです。

 

信者が、教会を離れれば、喜ぶのは悪魔です。

クリスチャンは、キリストの体の一部として、教会につながっているからこそ、その力を発揮することができるのです。体を離れた細胞には、何の力もありません。

 

結. 教会が霊的戦いに勝利するために!!

教会が教会であり続けることが、悪魔の戦いに勝利する最大の秘訣です。

何も特別なことではありません。

使徒たちがそうしたように、主イエスこそメシアだと、聖書から説き明かし続けること。

お互いが、キリストを頭として結ばれた兄弟姉妹として、愛し合うこと。

励まし合い、慰め合い、時に、厳しく戒め合うことです。

 

霊的戦いの原則は、“戦われるのは、主ご自身だ” ということです。

信者一人一人の内におられる聖霊が、語るべきことを語らせ、道を外れないように、導いてくださいます。

悪魔と戦う霊的武具とは、一言で言えば、聖書の御言葉です。

神の御言葉が、悪魔に対する最大の攻撃であり、また、防御なのです。

そして、学んだ御言葉の真理を、日々の中に具体的に適用していくこと。それが、御言葉の武具を身につける、ということです。

 

地上の教会、地域教会は、霊的戦いの最前線です。何が起こっても不思議ではありません。

悪魔の攻撃は、巧妙であり、着実に私たち自身の弱点を狙ってきます。

自分の弱い部分を知って、意識しておくことは大切です。

そして、弱いところは、本当に、自分では、どうしようもないところですから、主に委ねるしかありません。

あっ、と、小さな過ちや脱線に気づかされたら、即、悔い改めて、主の助けを求める。その小さな積み重ねが、変化を成長をもたらしてくれます。

 

聖書は、弟子たちの失敗を赤裸々に記していますが、同時に、その弟子たちが、大きく変えられ、成長していったことも教えられます。

弟子たちは、聖霊に導かれ、兄弟姉妹と戒めあい、励まし合い、成熟した信仰者へと育まれていきました。

その根っこには、神の約束である聖書の御言葉の理解の深まりがありました。

真理の御言葉を身につけ、力としていきましょう。

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