聖徒伝28 モーセ② 出エジプト4~10章 パロとの対決 エジプトに下る災い
【メッセージアウトラインPDF】28_モーセ2_パロとの対決・災い_200329
1. エジプトへ 出4章
40年前のトラウマか。召しにたじろぐモーセに、主は、しるしを与えました。
なお、口下手を理由に言い訳を重ねるモーセに、主は怒りを発します。
代弁者として兄アロンを、主はすでに召し出されていました。すべては御手の内です。
エジプトに上る途中、モーセは、息子に割礼を授けていなかったことで、神に殺されかけています。
アブラハム契約のしるしである割礼は、イスラエルには必須のもの。指導者の責任は重いのです。
民は、しるしを見て、主を信じました。
2. パロとの交渉 出5章
モーセは、主の命じた通りに告げましたが、一顧だにしないパロ。
エジプトの最高神であるパロが、名も知らぬ奴隷の神に従うなど笑止千万だというのです。
労働逃れの詭弁だと怒ったパロは、イスラエルに、材料のわらも与えずに、レンガを作れと無理難題を命じました。
苦しむイスラエルは、怒りの矛先をモーセに向け、窮地に陥ったモーセは必死に主に訴えました。
モーセは、はからずしも、はじめて民のとりなしをすることになりました。
3. 確認される使命 出6章
アブラハムの子孫を育んだ全能の神ヤハウェが知らせた、「わたしはある」という御名の本質。
イスラエルは、アブラハム契約を土台として、共におられる神を体験的に知っていくのです。
14節からの系図は、モーセの指導者の正当性を示します。
アロンの子孫は、祭司を担っていくこととなります。やがて来るメシアが、真の大祭司です。
4. 下される災い 出7~10章
再度パロに、イスラエルの解放を告げたモーセ。
目の前の奇跡も拒んで、聞き入れなかったパロに、最初の災いが下り、ナイルが血に変わります。以降、神の裁きが次々と下されます。
十の災いは、3つで1セットとなっており、煩わしいもの、苦痛なもの、悲痛なものと、災いの度を増していきます。
災いが下される課程すら秩序だっており、神への畏れを抱かせられます。
これらの災いは、エジプトのすべての偶像を裁き、その無力さを暴き出しました。
神々の最高位にあったパロの権威も失墜します。パロは、災いが起こると心変わりを見せますが、すぐに翻し、かたくなさを増していきます。
偶像礼拝の本質は、人間中心であり、罪の本質は、自分中心です。
究極の偶像礼拝は、自分を神とすることです。
5. 偶像からの解放 神の自由
感染症にバッタの害、世界を襲う未曾有の災厄も、序章に過ぎません。
健康、富、思い通りの人生…、人々が頼ってきたすべてが崩れていきます。それらも、一種の偶像に過ぎません。
しかし、この時代すら、神の目には、恵みの時です。今は、人々が福音を信じて救われるための、猶予期間です。
困難の中にあるクリスチャンに求められているのは、モーセのように、主に従う道へ決意して歩み出すことです。
主に従うならば、恐れるものは何もありません。与えられた使命を果たせるように、主が必ず助けられます。
主の約束が、その揺るぎない土台です。