十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

聖徒伝36 モーセ⑩ 神の栄光は今どこに 幕屋の完成・栄光の顕現 出エジプト記35~40章

2020/08/27
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

【メッセージアウトライン・PDF資料はこちら➡】36_モーセ11_幕屋の完成_ペンテコステ_200531

1. 幕屋建設 35~39章

安息日遵守の命令の後、開始された幕屋建設。民が心から進んで捧げた物が、幕屋の資材となりました。

民は、罪ゆるされた喜びをもって捧げ、奉仕したのです。

奉納物の多さに、これ以上持って来るなと、モーセが命じなければならないほどでした。

幕屋建設にあたった、「心に知恵のある」、職人や芸術家たちは、主に従順な、聖霊に満たされた者たちでした。

 

幕屋の中心である至聖所は、天のエルサレムの影です。

至聖所に安置された契約の箱。その贖いの蓋の上に、神の栄光が宿りました。

幕屋自体が、メシアの型です。

主イエスが、わたしは「いのちのパン」「世の光」と告げられたとき、人々は、聖所の供卓、燭台を思い起こしたでしょう。

何より、祭壇に捧げられる犠牲が指し示すのは、「世の罪を取り除く神の子羊」、十字架の主でした。

メシアこそ、真の大祭司であり、すべてのクリスチャンは、人と神をとりなす祭司の使命を帯びています。

使用された貴金属は、金約900kg、銀3t、銅2tにも及びました。

 

2. 幕屋の完成 40章

約半年で、幕屋の部材すべてが作成され、いよいよ組み上げられました。

すべての祭具と祭司は、油注がれ、神の所有物として、聖別されました。エジプトを出て1年後のことでした。

「主がモーセに命じられたとおりである」

完全数の7回、繰り返される言葉は、幕屋が、神の計画通り、完全な形で建設されたことを表しています。

「こうして、モーセはその仕事を終えた」 

モーセは、幕屋建設に際して、最初から最後まで神に忠実に従いました。

 

「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。出40:34」

幕屋で最も重要なのは、神の栄光が宿ることです。神の栄光のない幕屋には、なんの意味もありません。

この瞬間、離れていた神の栄光が、部分的とは言え、地上に宿ったのです。

アダムの罪以来のできごとでした。

 

3. 神の宮とされた私たち

人が罪人であるとは、神の栄光を受けられないということです(ロマ3:23)。

神はアブラハムを選び、約束された通りにイスラエルを救い出され、律法に従って建てられた幕屋に、栄光として宿られました。

しかし、約束の地に王国を築いた後、イスラエルの度重なる背信により、神殿から神の栄光は去りました。

 

神は、天地創造前から、栄光の救いの業を計画されていました(Ⅰコリ2:7)。

そして、メシアなる主イエスは、栄光を身に宿して誕生されたのです。

主は、イスラエルに拒まれながらも、神の怒りの杯を飲み干され、その十字架の犠牲により、民の罪を贖われました。

死を打ち破った主イエスは、栄光の体で復活されました。

 

福音を信じた者に内に住まわれる聖霊が、試練の中で私たちを守り、変えていってくださいます。

今、神の栄光は、信じた私たちの内に宿られており、私たち自身が、神の栄光が住まわれる、神の宮とされています。

栄光の御霊が私たちを変え、神の似姿へと育んでくださいます。聖霊に依り頼みつつ、変えられていきましょう。

栄光の主イエスが共におられます。

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