十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

ポストトゥルースの時代のクリスチャンの心がまえを考える

2022/01/06
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 偏向するメディア

私が、メディアの偏向をはっきり自覚させられたのは、4年前(2016年)の米大統領選でした。

日米共に、主要なメディアは、最後までヒラリー氏の勝利を信じて疑いもしませんでした。

トランプ氏当選という、報道とは180度違う結果に、驚愕したのを覚えています。

マスメディアの重大な使命は、市民の声を拾い上げ、伝えることだと思いますが、それが全くできなくなってしまっている。本当に深刻な事態だと感じました。

 

次第に分かってきたのは、既存のメディア自体が、一種の特権階級になってしまっているということです。

富裕層しか行けない、超高額な授業料が必要な名門校を出た知的エリートが、これまた超高額な給与と厚遇を手にしている。

そのようなメディアが、庶民と乖離していくのは当然です。

使命に生きるということは、守るべきものが多くなるほど、難しくなります。

報道者の使命より己の利権を守ることが優先されてしまった結果が、偏向報道に現れているのだと思います。

 

日本からは、アメリカという社会の片側しか見えていなかったんだと痛感させられました。

日本からアメリカに留学するような人の多くはやはり、アメリカ社会の片側しか見ないのでしょうから、日本での報道が偏るのも無理ありません。

 

ポストトゥルースの時代とは、信じたいものを信じる、私たち人間の罪の性質が極まる時代だと言えるでしょう。

権力のチェックをすべきメディア自体が、一つの権力となる矛盾。

一方、ますます存在の大きくなるネットの世界は、さらに混迷を深めています。

本当に、真偽の見極めの難しい時代だと痛感させられます。

コロナ禍のこと、米大統領選のこと…。ふと気づけば、膨大な情報に溺れそうな自分がいて。

信仰生活や日常生活がおろそかになれば、それこそ問題です。

あふれかえる情報とどう付き合っていくのか、大きな課題です。

 

2. エコーチェンバーに注意

ネットを開けば、自分の嗜好に合わせた広告が巧みに表示されます。賛同しやすい投稿や記事がオススメされます。

AIやビッグデータの活用ということが盛んに言われますが、個々人の嗜好や行動が、とことん解析されていることがよく分かります。

 

ネットで注意すべき事は、似たもの同士が集まりやすいという特徴です。

実社会では眉をひそめられてしまうような、極端な意見の人の方が、むしろ目立って集まりやすかったりするのです。

本当は少数にすぎないのに、いつの間にか、自分たちが多数派のような錯覚に陥ってしまう罠があります。

いわば、狭い空間で、自分の声ばかりが反射して聞こえているような状況です。これをエコーチェンバーと言うそうです。

 

ネットがむしろ、分断を深めている側面が、確かにあるのです。

エコーチェンバーに陥らないために必要なのは、意識して、異なる意見に触れる機会を持つということでしょう。

たとえば、SNSで、あえて違う意見の人や、立場の異なる人をフォローする。立場の違う意見や主張にも目を通すなど、バランス感覚が求められます。

いろんな立場や考えの人がいる。実社会を生きていれば当然のことが、ネット上では、意識して機会を作らなければ難しいのです。本当に難儀なことだと思います。

 

3. ファクトチェックを心がけよう

自分が信じたいものを信じるのが、私たち人間です。問題と直面すれば、より安易な道に流れてしまうのです。

必要だけど困難な道というのは、なかなか選べません。

踏み出すべき道に歩み出せず、ぐるぐる回り続けていることが、どれだけ多いかと思います。

 

負のスパイラルを抜け出すためには、まず自分自身への客観的な観察が必要です。

自分の期待や願望を横において、現実を見据えることが求められます。まず、事実を事実として、受け入れる。

コロナ禍を通して、今まさに体験的に教えられていることだと思います。

 

厳しい現実を前に、おのれの願望にしがみつくのが人間です。

新型コロナウイルスに関して、「日本人は、特別の免疫があるから大丈夫だ」という説が一時期強く流布していました。

“神風が吹くから守られる“ みたいな話でしたが、感染拡大が続く中で、すっかり尻すぼみになっています。

日本や各国の公式の統計や発表を比較して客観的に見れば、なんの根拠もないことだと分かります。

 

話す人の肩書きに惑わされないことも大事です。

科学者だから、常に客観的に物事を見ることができているかというと、言い切れない現実があります。

恐れや不安から、現実外れの期待をしてしまったり、注目を浴びようとして、検証不十分な仮説を声高に主張したり。どの世界でも、よくあることなのだと教えられます。

医師や専門家もやはり例外ではありません。

 

分からないことは、分からないままにしておく、その姿勢も重要です。

混沌とした闇の中では、センセーショナルに煽り立てる人が目立ちます。

しかし、このような時こそ、当たり前のことを当たり前に、淡々と続けられる人の存在が貴重なのだと教えられています。

 

メディアの偏向報道ということが現実にある中でもやはり、公にされた情報の信頼度が高いのは確かです。

新型コロナウイルスに関して言えば、国や公的機関からの情報は、まず第一に目を通すべきものでしょう。

その情報発信の責任の所在は、明らかにされているか。それも、確認の必要な大事なポイントだと思います。

ネット上で見聞きした情報を、公の情報と照らし合わせて確認できるか。その視点も必要です。

 

誰も確定的なことが言えないのが、今の状況です。

分からないことは分からない。間違ったことは間違えたと率直に言える人かどうか。そこも注視したいと思います。

 

4. クリスチャンの視点から

聖書から言えば、今は、背教の時代です。

「愚にもつかない作り話」に、多くの人々が流れていくことは、主イエスの警告された通りです。

 

最大のフェイクニュースとは何か。聖書から考えれば明らかです。

「神などいない。この世界は偶然の産物に過ぎない。人間の力で理想世界を築き上げられる」 ということです。

聖書の権威が否定され、徹底的に貶められる。その流れは19世紀には欧州の主流となり、今や世界中を飲み込もうとしています。

産業革命に代表される、飛躍的な技術革新の一方、人類の悪もかつてないほど極まりました。

世界大戦、大虐殺。飢餓、環境破壊…。神への恐れを失った人間の傲慢さが、悲劇に悲劇を重ねています。

 

この時代にあって、クリスチャンに強く求められているのは、神の約束に堅く立ち続けることに他なりません。

使徒パウロの警告が、胸に迫ります。

「俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。 …私たちが労苦し、苦闘しているのは、すべての人々、特に信じる人々の救い主である生ける神に、望みを置いているからです。Ⅰテモテの手紙4:7,10 」

パウロは、この手紙を、年若い同労者テモテに宛てました。テモテもまた、混沌とした世のただ中で、孤軍奮闘していたのでしょう。

この世で神に希望を置く者には、苦闘があります。

混沌とした現実のただ中で、私たちの信仰は鍛錬されていくのです。

 

自分と人を見つめるパウロの視点は、冷徹なほどに現実的です。

決して人の罪を軽んじることはありません。一方では、幼子のような神への信頼を抱き、あふれんばかりの感謝を献げています。

神を否定した不信仰者は、どんな罪をも犯し得ます。信仰者でも、主を見失えば、簡単に罪に落ちこんでしまいます。

 

現実の問題に直面した時、私たちが仰ぎ見るべきは、主イエス・キリスト、この方だけです。

クリスチャンのあらゆる問題解決の道は、一つだけです。

さらなる信仰の一歩を踏み出すこと。本当にそれしかないのだと、日々の中で繰り返し心に刻まれています。

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