聖書の中心テーマは、救いでも、癒しでもなく、神の栄光

      2017/06/08

①聖書の中心テーマは、神の栄光。

神は栄光をもって地を形作り、祝福で満たしました。しかし、神の約束を破った人の罪により、栄光は地を離れたのです。死とあらゆる苦しみの始まりです。

神の栄光(シヤカイナグローリー)は、約束の民イスラエルの幕屋に一時期宿りましたが、イスラエルの背きにより、地上を去ります。

数百年の後、神の栄光を身に宿して誕生されたのが、イエス・キリストでした。
十字架の死と復活を経てキリストが天に昇られた後は、聖霊によって、信じる者すべての内に神の栄光が宿っています。

主が再臨され、あらゆる悪が裁かれた後、神の栄光が、生まれ変わった世界をくまなく照らし出す時がやってきます。

②救い、癒やしを目的としてしまうと…。

世の中にあふれる、様々な癒しのプログラム。カウンセリングやヒーリング…。多くに共通するのは、過去の問題を解決すれば、現在の問題も解決されるというスタンスです。

ひたすら過去に遡り、問題を探り、カウンセラーに打ち明け、あるいは、大いなる存在に明け渡す、ということが、延々と繰り返されていきます。

一時的な解放感はあっても、長続きせず、状態も良くなりません。多くの人が、延々と続く負のスパイラルに飲み込まれていってしまいます。

キリスト教界でも、様々な癒やしのプログラムが、流行り廃りを繰り返しながら広がっています。聖書の言葉でそれっぽく粉飾されていますが、行われていることの実態は、世の中にあふれているカウンセリングやヒーリングといった手法と大差ありません。

③信じたときに、救われ、新生している。

救いは、信仰と恵みによる。それが、原則です。

イエスの十字架の死によるあがないと葬りと復活を信じ、イエスを主として迎え入れた瞬間に、その人は救われ、古い自分は死んで、生まれ変わっているのです。

たくさんの傷を抱えた過去の自分は、死んだのです。

③救いは一瞬のできごと。成長はゆっくりと。

激災から奇跡的に救出され、九死に一生を得たとしても、その人が、本当に自分は安全なんだ、という実感を得るのには、時間を必要とします。

魂の救いも同様です。クリスチャンとなって新生しているのに、過去の亡霊に苛まれることが度々起こるのです。

しかし、過去がどうあれ、それは死んだものです。

主の前に罪を告白し、主に明け渡したなら、わたしを愛し、救ってくださった主を見上げればよいのです。求められているのは、ただ、それだけのことです。

再び過去に目をやってしまうなら、心も過去に捕らわれていくでしょう。

そこから生じるのは、他者への裁きと、救ってくださった主への欺きです。

回心は一瞬の出来事です。悔い改めとは、主に向き直って歩み始めること。

過去にとどまって、自分や誰かを責め続けることなど、主は望んでおられません。

主を信じ、受け入れたあなたは、過去の罪の奴隷ではなく、永遠の命を約束された神の自由の子なのです。

 

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。」 Ⅱコリント3:16

「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」 ローマ 8:15

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