復活祭・イースターメッセージ 「あなたは主を愛するか」 ヨハネ福音書18,21章 ペテロの否認と和解の食卓
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1.ペテロの否認 ヨハネ18:12~27
何度も十字架の死と復活を予告していたイエスは、過越の食事の際には、ガリラヤでの再会とペテロの否認をも明確に告げられていました。
皆がつまずいても、私は絶対に拒みませんとペテロが否定した数時間後。イエスは捕らえられ、大祭司の官邸で裁判が始まりました。
潜り込んでいたペテロは、イエスの弟子だろうと周囲から問われ、三度も拒絶しました。
ペテロは、イエスとの関係を否定し、自ら主との絆を断絶したのです。
2.十字架・葬り・復活
イエスはその後、支配者ローマによって十字架刑に処せられました。
全地を覆った暗闇の中で、「わが神」と叫んだその時、イエスは、神の怒りの杯を飲み干し、神の呪いを受け、父なる神から断絶されていたのです。
贖いの業を成し遂げたイエスは、死んで葬られました。葬りは、メシアが受けられた辱めの極地でした。
三日後、復活したイエスが、弟子たちを訪れました。墓を訪れた女たちの前に出現した天使は、ガリラヤで会おうというイエスの言葉を伝えました。
ガリラヤは、使徒たちの全的献身の場であり、イエスの宣教の拠点でした。
3.和解の食卓 ヨハネ21:1~19
イエスを待ちあぐね、元の漁師に戻ろうとした弟子たち。しかし、夜を徹しても魚は一匹もとれません。
そこに現れた人が、船の右側に網を下ろすよう命じます。弟子たちが、セオリー無視の命令に従ったところ、ありえない漁の魚が捕れたのでした。
「主です」というヨハネの叫びに、ペテロは泳いで主の元に駆けつけました。
イエスが用意された和解の食卓に弟子たちは預かりました。
この時イエスは、三度、ペテロに愛しているかと問いました。
わたしは主を愛していますと、直接、答えることはできなかったペテロは、己の罪を痛感していたのでしょう。
4.主を選び、選びつつ歩もう
主イエスの死と復活も、ガリラヤ湖での再会も、メシアの否認も、ペテロは、全部聞いて知っていました。でも実際には、何一つできなかったのです。
ガリラヤでのイエスとペテロの対話は、ヘブル的な対句法が用いられています。
言葉を変えて一つの事実を表現することで、浮かび上がるのは、ペテロの罪と主の愛です。
失敗を繰り返した挙げ句の拒絶で打ち砕かれきったペテロに、イエスは三度、私を愛するかと尋ね、最後、「わたしに従いなさい」と命じられました。
信仰者に退路はありません。この期に及んでも、ペテロには主に従うほか、道はなかったのです。
たとえ主を愛すると断言できなくても、自分が何であろうとなかろうとも。
聖書の愛とは選択。意思と決意をもって選ぶことです。信じるとは、主イエスの十字架と復活の救いの道を選ぶことにほかなりません。
信仰の成長は、己の罪をさらに自覚させます。ペテロの陥った絶望は、すべての信仰者が通らされる道です。
愛するかと問われ、言葉につまるあなたを主は喜ばれます。打ち砕かれたあなたは、次の使命に応える用意ができたのです。