十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

復活祭・イースターメッセージ 「あなたは主を愛するか」 ヨハネ福音書18,21章 ペテロの否認と和解の食卓

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


【メッセージアウトラインPDF・資料はこちら➡】復活祭_210404

1.ペテロの否認 ヨハネ18:12~27

何度も十字架の死と復活を予告していたイエスは、過越の食事の際には、ガリラヤでの再会とペテロの否認をも明確に告げられていました。

皆がつまずいても、私は絶対に拒みませんとペテロが否定した数時間後。イエスは捕らえられ、大祭司の官邸で裁判が始まりました。

潜り込んでいたペテロは、イエスの弟子だろうと周囲から問われ、三度も拒絶しました。

ペテロは、イエスとの関係を否定し、自ら主との絆を断絶したのです。

 

2.十字架・葬り・復活

イエスはその後、支配者ローマによって十字架刑に処せられました。

全地を覆った暗闇の中で、「わが神」と叫んだその時、イエスは、神の怒りの杯を飲み干し、神の呪いを受け、父なる神から断絶されていたのです。

贖いの業を成し遂げたイエスは、死んで葬られました。葬りは、メシアが受けられた辱めの極地でした。

三日後、復活したイエスが、弟子たちを訪れました。墓を訪れた女たちの前に出現した天使は、ガリラヤで会おうというイエスの言葉を伝えました。

ガリラヤは、使徒たちの全的献身の場であり、イエスの宣教の拠点でした。

 

3.和解の食卓  ヨハネ21:1~19

イエスを待ちあぐね、元の漁師に戻ろうとした弟子たち。しかし、夜を徹しても魚は一匹もとれません。

そこに現れた人が、船の右側に網を下ろすよう命じます。弟子たちが、セオリー無視の命令に従ったところ、ありえない漁の魚が捕れたのでした。

「主です」というヨハネの叫びに、ペテロは泳いで主の元に駆けつけました。

イエスが用意された和解の食卓に弟子たちは預かりました。

この時イエスは、三度、ペテロに愛しているかと問いました。

わたしは主を愛していますと、直接、答えることはできなかったペテロは、己の罪を痛感していたのでしょう。

 

4.主を選び、選びつつ歩もう

主イエスの死と復活も、ガリラヤ湖での再会も、メシアの否認も、ペテロは、全部聞いて知っていました。でも実際には、何一つできなかったのです。

ガリラヤでのイエスとペテロの対話は、ヘブル的な対句法が用いられています。

言葉を変えて一つの事実を表現することで、浮かび上がるのは、ペテロの罪と主の愛です。

 

失敗を繰り返した挙げ句の拒絶で打ち砕かれきったペテロに、イエスは三度、私を愛するかと尋ね、最後、「わたしに従いなさい」と命じられました。

信仰者に退路はありません。この期に及んでも、ペテロには主に従うほか、道はなかったのです。

たとえ主を愛すると断言できなくても、自分が何であろうとなかろうとも。

 

聖書の愛とは選択。意思と決意をもって選ぶことです。信じるとは、主イエスの十字架と復活の救いの道を選ぶことにほかなりません。

信仰の成長は、己の罪をさらに自覚させます。ペテロの陥った絶望は、すべての信仰者が通らされる道です。

愛するかと問われ、言葉につまるあなたを主は喜ばれます。打ち砕かれたあなたは、次の使命に応える用意ができたのです。

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