聖徒伝144 預言者10 ホセア書7~9章 アッシリア捕囚の預言 痛みを伴う癒しの道
【資料はこちらからどうぞ➡】 144_預言者たち10_ホセア書7~9章_痛みを伴う癒やし_220807
1. 癒やしの御手による裁き 7章
主が、「イスラエルを癒やすとき」、罪は露わにされ厳しく裁かれます。民も指導者も皆、悪の共犯者でした。
夜の間に発酵する生地のように、民は罪のパン種を膨らませていました。朝に待つのは燃えるかまどの裁きです。
北王国の住民は、アッシリアの強制移住政策によって異邦人と混ざり合い、以降、じわじわと衰えて行きます。
愚かな鳩や欺きの弓のように、帰るべき所を知らず、的外れな方に歩んでいく。この北王国の末路は悲惨です。
2. イスラエルへの神の裁き 8章
主の裁きを告げる角笛が吹き鳴らされます。
神から来る善いものを拒絶したイスラエルは、主によって拒絶されることになるのです。
金の子牛は粉々に破壊され、大飢饉が襲います。
アッシリアに侵略され、飼い主のない家畜のように、異国に連れていかれます。
神に奴隷から救い出されたイスラエルは、背きの罪の末に、再び奴隷に身を落とすこととなるのです。
3. アッシリア捕囚の惨劇 9章
主を喜ばない民から、喜びは取り去られます。
約束の地を追われ、主への礼拝もささげられません。祭りは無意味なものとなり、神の裁きが下ります。
かつて、恐ろしい罪のゆえに聖絶されたベニヤミン族のギブアの町のように、イスラエルもまた、悔い改めの回帰不能点を越えてしまったのです。
神の栄光が去った、神の民は、もはや死んだも同然です。
アッシリアの強制移住政策により、北の十部族は壊滅的な状況に陥いることとなります。
4. 偶像の物語から真実を生きる者へ
北王国の末裔は、異邦人との混血も進み、後に、サマリア人と呼ばれ、ユダヤ人からは軽蔑されました。
現在のパレスチナ西岸地域に残るサマリア人は、千人にも満たない少数民族です。
それでも、イスラエルは、なお神に見捨てられてはいません。
十部族には、南王国に逃れた者もおり、部族の血統は失われてはいません。
イスラエルが陥った偶像礼拝には、人の欲望を満たす物語がありました。
偶像礼拝の本質は、人を魅了する物語です。
ネット上で自分の気に入る物語にいくらでも没頭できる現代は、究極的な偶像礼拝の時代と言えます。
クリスチャンすら、自分に都合のよい神の物語に捕らわれることがあります。
聖書は、人の造った物語ではありません。
滅びゆくだけの人間は、誰もヒーローにはなれず、世界も変えられません。
メシアすら、人々に嘲られ、悲惨な死を遂げました。聖書ほど、人の罪を赤裸々に記した書物はありません。
聖書こそ、真実の物語です。
十字架で贖いを成し遂げ、復活された主イエスは、再び来られます。
世を裁き、神の王国を回復されます。
信じたすべての者に、栄光の体が与えられ、神の子、主イエスの兄弟姉妹、共同統治者として、永遠に喜びの内を生きるのです。
人のどんな物語も及ばない、永遠の恵みと平安の道が、ここにあります。