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聖徒伝85 ダビデ編① 一サムエル16~17章 ダビデの油注ぎ・ゴリヤテとの戦い

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


【メッセージアウトラインPDF・資料はこちら➡】 85_ダビデ①_16~17章_ダビデの油注ぎ・ゴリアテの戦い_210605

1. ダビデの油注ぎ罪 16章

主が王に見いだされた者に油注ぐべく、サムエルが訪れたのは、ユダのベツレヘムのエッサイの家でした。

「人はうわべを見るが、主は心を見る」 そう告げられたサムエルは7人の子を見定めますが、誰も御心に適いません。

最後に連れてこられたのは、野で羊の番をしていた8番目の子ダビデでした。

「この者だ」。主に命じられたサムエルは、油を注ぎました。この日以来、主の霊がダビデに激しく注ぎました。

 

その頃、サウル王から主の霊が去り、悪霊に苛まれるようになりました。

王を癒やすべく召された竪琴の奏者が、他ならぬダビデでした。サウルが竪琴を奏でると、王から悪霊は去りました。

 

2. ゴリヤテとの戦い 17章

イスラエル軍は、ベツレヘムの西20kmにあるエラの谷でペリシテ軍と対峙し、戦局は硬直状態に陥っていました。

この時、敵陣から姿を現したのが、3m近い大男の戦士ゴリヤテでした。一対一の決闘を呼ばわったゴリヤテに、イスラエルは恐れおののき沈黙しました。

朝に夕に、ゴリヤテは、40日にも渡ってイスラエルを愚弄していました。

 

上三人の兄たちの安否を問うために父に使わされてきたのが、ダビデでした。ゴリヤテが主を愚弄するのを聞いたダビデは憤り、決闘に名乗り出ます。

それを耳にしたサウルは、ダビデを呼び寄せますが、問題になったのは、彼に兵士としての経験がないことでした。

ダビデは、獅子や熊から救い出してくださった主は、ペリシテ人からも救ってくださると確信して告げました。

ダビデは、あてがわれた不釣り合いなサウルの武具を脱ぎました。サウル王の代理ではなく、神の代理として戦いに臨んだのです。

 

ダビデが手にしたのは、石投げだけでした。主の御名こそ、主の戦いの最大の武器なのです。

一撃必中。ダビデの放った石はゴリヤテの額を撃ちました。ダビデは、崩れ落ちたゴリヤテに走りより、彼の剣を抜いて、その首をはねました。

均衡が破れ、ペリシテ軍は総崩れ、戦いは、イスラエルの圧勝でした。

サウルは、ダビデの名を尋ねました。ダビデは初めて、神の兵士としてイスラエルで認められたのです。

 

3.信仰の武具を身につけて

ダビデの力は、聖霊により、ダビデの勝利は、彼が日々積み重ねてきた神との深い交わりの上にありました。

福音を信じた私たちにも、ダビデと同じ霊が住まわれています。日々主と交わり、体験的に主を知ることを積み重ねてきたのか、問われます。

信仰とは、クリスチャンの日々の生活そのものです。今体験している私の状況は、これまでの信仰生活の総決算だと知りましょう。

 

準備なく無様に敗退することもあります。

その時には、打ち砕かれた心で主に立ち返り、勝利の時にも主の御顔を仰ぎ見ましょう。

勝利はむしろ、次の大きな試練の序章に過ぎません。

神は愛する子を訓練されます。今の試練が将来の計り知れない祝福につながっているのです。

信仰の戦いの武具は御言葉だけです。御言葉に生きる以上の力はありません。

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