十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

映画「ある少年の告白(Boy Erased)」を観て考えた

2022/11/01
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 映画「ある少年の告白」

「ある少年の告白」。2018年制作の映画です。

大学生のジャレッドが、ゲイであることを両親に告白し、牧師であった父の意向で、「変わる」ため、施設で12日間のプログラムに参加することになります。

ガラルド・コンリー氏の実体験を描いた本「Boy Erased(消された少年)」を元にした映画です。

「Pray Away」同様、「転向療法(コンバージョンセラピー)」の実態を描いた問題作という位置づけでしょう。

 

2 客観的な事実を拾い上げると…

映画は、ジャレッドが転向療法の施設に入る場面から始まります。

事務的な受付。スタッフの冷たい対応。プログラム中、携帯電話の所持は禁じられ、書きかけの小説は取り上げられる…。研修の内容は、外部で話さないことが確認されます。

ホラー映画の導入のような、不安をかき立てる演出がBGMともあいまって重ねられていきます。

 

まるで、独裁国家の強制収容所のように描かれる施設ですが、あくまで21世紀のアメリカでの出来事です。

施設そのものは、キリスト教会関連のものと思われる、よくある研修施設です。

ジャレッドは、一日のプログラムを終えれば、母親が迎えに来て、滞在先のホテルに戻ります。

本人の意思でいつでもやめられるという契約も結ばれており、身体的暴力は厳しく禁じられています。

訴訟社会のアメリカですから、当然のことです。

 

「ある少年の告白」「「Boy Erased(消された少年)」というタイトルですが、ジャレッドは大学生です。18歳で選挙権が与えられるアメリカ、アーカンソー州では、立派に成人です。

しかし、成人した息子の研修中、母親が同行し、ホテルで待っていて、日々施設へ送迎していることには、違和感を覚えました。

結局、主人公は、12日間のプログラムの途中でやめています。まだ半分だと父に諭される場面からして、せいぜい一週間程度の参加だったのだと推察されます。

 

このように物語の背景にある客観的な事実を拾い上げていくと、膨らませられたイメージとは大きな隔たりがあることが分かります。

そこをドラマチックな物語に仕立て上げているのがまさに、脚本、演出の妙なのでしょう。

これが非道な転向療法だ、重大な人権侵害だ、と強調するには、無理がありすぎると感じました。

 

人権侵害となれば、莫大な賠償金が課される、訴訟社会のアメリカです。

否定しがたい人権侵害が行われた、これは勝てる裁判だとなれば、あらゆるところで「転向療法」への集団訴訟が連発しているでしょう。

そうはなっていないということであれば、「転向療法」は、基本的に法に触れるものではなく、社会的に認知される範囲で行われているものだと言えます。

一部に逸脱したものがあったとしても、転向療法自体が問題だと言えるものではありません。

 

3. 被害者であり、同時に加害者である当事者たち

「Pray Away」と同じ構造だと感じたのは、加害者も被害者もゲイであることです。

本人の性的指向を勝手に他者にばらすことをアウティングと言います。差別や偏見が強い社会では、ばらされた当人は大変な損害を被りかねないため、厳しく非難される行為です。

ジャレッドのアウティングをしたのは、彼をレイプした大学のゲイの友人でした。

他にも同様の性暴力を犯していたその友人は、大学のカウンセラーだと偽って、ジャレッドの性的指向を両親にばらし、同時に口封じをはかったのでした。

そして、精神的にジャレッドを追い詰めた施設長もまた、ゲイだったことが、エンドロールで明らかにされています。

 

4. 作中の療法に感じた問題点

施設内の描写で、疑問を感じる療法もいくつかありました。

軍隊式の整列やバッティング練習をさせる場面があります。「男らしさ」を身につける、ということでしょうか。

しかし、運動神経抜群でマッチョなゲイもいれば、繊細でおとなしい異性愛者もいます。男らしさと性的指向とは別なことです。

 

療法が、基本的にグループで行われているのも違和感を感じることでした。

メンバーの前で罪を告白させる場面も度々出てきます。そんなことをすれば、秘密を共有したメンバー間で、精神的な束縛が生じてしまいます。

集団の中で、指導者に認められようという意識が働けば、むしろ、ねじれを強めるでしょう。

映画の中でも、巧みに要求に応え、時に、他者に犠牲を強いてでも、うまく立ち回ろうとする参加者の姿が描かれていました。

このような集団心理を利用するのは、カルトも常用する手段であり、この施設の療法の問題がよく現れていると感じました。

 

プログラム中、ジャレッドが怒りを露わにしたのは、メンバーの前で執拗に罪の告白を求められた場面でした。

「それだけなのか」と施設長が問い詰め、ジャレッドに対して、父親に対する怒りがあるはずだ、吐き出せと強く迫ったのです。

ジャレッド以外の参加者にも、施設長が、父親への怒りを吐き出せと言って執拗に迫る場面があります。

この施設における転向療法では、ゲイになった原因を父との関係性の歪みに求めているということなのでしょうが、その一点だけに余りに固執しすぎていると感じました。

 

思い出したのは、アメリカから日本に紹介されて広まっている、エリヤハウスという癒やしのプログラムです。

聖書の言葉を多用し、現在の問題の原因を過去に求め、ひたすら過去に犯した罪への告白を求めて行くところ、それをグループで行うところが、非常によく似ていると感じました。

抱えている問題性も共通しているように思います。

 

「怒りを吐き出せ」と執拗に迫る施設長に、ジャレッドは激しい怒りをぶつけます。

ひと悶着あった後、駆けつけた母親と一緒に、ジャレッドは施設を出ました。この時の母親とのやりとりで、施設長には心理療法を行う何の資格もなかったことが明らかにされています。

 

5. 描ききれなかった本当のテーマ

映画が取り上げた題材は、同性愛の矯正施設であり、大半は、施設の描写に裂かれています。

しかし、映画の本当のテーマは、親子関係にあると感じました。

 

性的暴行を受けた息子に寄り添えず、ゲイだという告白にうろたえ、牧師である自分の立場を優先させた父親。決定に従うだけだった母親。

成人した息子の療法に同伴し、日々ホテルまで送迎する。まず、母子が密着しすぎではないかと感じました。

夫婦の関係も気になるところです。

 

さらに疑問に感じたのは、父親の姿勢です。

息子と向き合うことを避け、施設に入れるという安易な方法に頼ってしまった。

映画のラスト、療法を受けた4年後、ジャレッドが、父に対して、何も聞いてくれなかった、自分の立場を守ることしか考えていなかったと訴えていました。

さらに父親に突きつけたのは、自分がゲイであることは変わらない。父親が変わるしかない。それを認めないなら、親子の関係は絶つしかない、ということ。

これではまるで、脅迫です。

父親がかろうじて答えられたのは、努力するという一言だけでした。

 

さらにジャレッドは、父親をクリスマスに誘います。母親は来ると言ってくれたと。

ジャレッドの母親は、教会にも通わなくなっていましたが、父親は現役の牧師です。

牧師の父親に、クリスマスにNYの自分のところにまで来いというのは、廃業を迫るのと同じです。

父親に「変われ」と迫るジャレッドがしていることは、まるで父親への復讐です。

父親への怒りを吐き出せ、と施設長が迫ったことは、あながち間違いでもなかったように感じました。

 

この物語の問題の核心は、歪んだ父子関係にある。

しかし、映画はセンセーショナルに「転向療法」の施設を描くことに捕らわれて、本質から外れていると感じました。

 

6. 根拠のない数字の一人歩き  具体的な調査と照らし合わせて

エンドロールで、「70万人が転向療法の影響を受けている」とありました。

映画の後にこれを見た人は、70万人が転向療法の被害で苦しんでいると思い込むでしょう。

しかし、これまでに転向療法を受けた内の何人が被害を訴え、重篤な精神疾患を患い、何人が自死に至ったのか。

「Pray Away」同様、その内実は一切語られず、数字が一人歩きしています。

 

先日、転向療法の有用性についての資料をいただきました。

2000年代の最近の調査結果に基づく、様々な研究者の複数の調査結果をまとめたものです。

それが明らかにしているのは、転向療法を受けた過半数が何らかの変化を体験し、安心や幸福感を味わっており、悪くなったという報告は、数%にとどまっているということです。

「転向療法の害を記録する」という論文のタイトルが、「性的指向の変化」に変わった研究もありました。

調査を進める過程で、参加者の多くが、安心感、希望、自尊心の向上、人間関係の改善といった好ましい変化を覚えていることが明らかにされたからです。

 

転向療法についての害を語った参加者もいますが、複数の調査で、数%~10%前後にとどまっています。

心理療法は、様々な精神疾患に関しても行われている訳ですが、害を受けたという人の割合は、他の心理療法と比較しても大差ないということもあげられていました。

 

調査の中には、映画「Pray Away」でとりあげられていた、「エクソダス・ミニストリーズ」の転向療法に関するものもありました。それには、こうあります。

Jones と Yarhouse (2009) は、性的指向の変化とその結果として生じる可能性のある危害に関するこの問いに、これまでで最も厳格な縦断的方法論、つまり、変化を追求する被験者を追跡調査する方法を適用した。「私たちは、エクソダス・ミニストリーズの宗教的に媒介された変化手法に関与することによって、一部の個人に対して性的指向の変化が生じたというかなりの証拠を発見した(自己分類で23%)」(p.8)。「本研究では、被験者を6~7年間追跡調査したが、これらの個人にとって性的指向を変えようとする試みが平均的に有害であるという証拠は見いださなかった(p.9)。」

「Pray Away」では、転向療法の益の部分については、まったく触れられていなかっただけに、非常に興味深い記事だと感じました。

リンクはこちら➡ Dr. Ann E. Gillies,May 2020.

 

7. 信仰の側面から問題点を考える

ジャレッドが生まれ育ち、物語の部隊となったアーカンソー州は、バイブルベルト地帯と呼ばれる、アメリカの伝統的なキリスト教信仰が今も強く根付く地にあります。

ジャレッドの父は、バプテスト教会の牧師ですが、プロテスタントが多数派の同州で、最大の教派がバプテスト教会です。

 

ジャレッドが、大学進学前には父親から車をプレゼントされていたり、暮らしぶりから見ても、伝統ある教会の牧師で、相応の地位にあることがうかがい知れます。

ジャレッドは高校時代には、両親公認の彼女がいました。父が、お前を信頼しているぞ、と言って、彼女の家に息子が泊まることを認める場面があり、倫理的にガチガチに厳格な父親というわけでもないようです。

 

ジャレッドが入れられた施設は、キリスト教の教会関連の施設なのでしょう。十字架が掲げられたチャペルがあり、研修が行われる場所としても度々登場します。

施設では聖書を土台にした療法が行われていますが、独特の聖書解釈によるものなのだろうと思われました。

スペルミス探し以外に面白いところはない、と、ジャレッドが療法のテキストを酷評しています。

テキストを読んでいた母親が、god(神)の綴りがdog(犬)になっていることに愕然としています。施設での信仰の問題が象徴的に現れています。

 

研修中に性的罪を犯したと思われる参加者の青年、キャメロンに、模擬の葬儀を行う場面があります。

キャメロンに対して、棺桶の前で破滅への警告がなされ、家族が「悪霊よ去れ」と聖書で打ちたたきます。

参加者であるゲイの一人も、これに加わっています。

さらにキャメロンに、洗礼を施す場面が続きます。理由は語られませんが、キャメロンが悔い改めたしるしに、洗礼式を行ったということなのでしょうか。

いたたまれなくなったジャレッドは場を外します。

キャメロンの家族が属している教会は、霊的な体験を重視する、ペンテコステ系の教会なのかな、と思われます。

ペンテコステ系の教会としても、聖書で打ちたたくなど考えられないことで、明らかに逸脱しています。

バプテストの伝統的、保守的な教会で育ったジャレッドには、ひときわ、異様な光景に映ったでしょう。

 

「悪霊よ去れ」と叫んで聖書で打ちたたく。そんなことで人が変わるなら誰も苦労はしません。

イエス・キリストは悪霊を追い出す権威を持っていましたし、使徒たちも、イエスの権威によって悪霊を追い出しました。

しかし、悪霊を追い出す権威は、神によって与えられるものであり、誰でも「悪霊よ去れ」と叫べば、そうなるというわけではありません。

頻繁に「悪霊よ去れ」と叫ぶ、いわゆる悪霊払いを行うクリスチャンには、すべてを悪霊のせいにする傾向がありますが、性的指向もそうだと言えるのか? はなはだ疑問です。

 

キャメロンは、父親に他者の前でバカにされ、生まれてこない方がよかったと言われたと告白しています。

後日談で、キャメロンが自死したことをジャレッドは知らされます。

彼を追い詰めたのは、転向療法というより、彼を拒んだ家族だっただろうと感じました。

歪んだ信仰が、キャメロンの家族の過ちを助長してしまったのなら、余りにも大きな悲劇と言えます。

施設では、「フリをしろ」と繰り返されます。行動から変えろということでしょうか?

ジャレッドの父親も、クリスチャンとしての体裁ばかりを気にしているように見えます。

行いを正すことによって救われようとするなら、それほどに絶望的な営みはありません。

 

人は、行いによって救われるのではない。ただ信仰により、恵みによって救われる。

これが、「信仰義認」と呼ばれる、信仰の原則です。

しかし、行いを変えようとする父親も、施設も、この大事な信仰の原則から外れてしまっています。

信仰的には、ここに、最大の問題があります。

 

さいごに.  問われるのは私の信仰

ジャレッドが施設で体験したことには、療法としても信仰的にも、おかしなことがいくつもあると感じます。

一方で、施設をまるでナチスの強制収容所のように描いていることへの違和感も非常に強く覚えました。

 

描かれているのは、人権が重視される民主主義国家であり、訴訟社会であるアメリカの21世紀の、あくまで法の秩序の中での出来事です。

原作者のガラルド・コンリー氏の個人的体験を、いわゆる「転向療法」全般に当てはめて、そのすべてがおかしいと主張することにも、どう考えても無理があります。

 

プロテスタントの福音派のクリスチャンに対する、極めて偏った印象を視聴者に受け付けており、非常な危機感も抱きます。

この映画は、アメリカ社会の分断を深める結果をもたらすものの一つになっているのではないでしょうか。

 

もし、私が、ジャレッドの父親の立場だったら?

息子が性暴力の被害を受けたと分かったその時には、寄り添う他ないでしょう。

ゲイだと告白されたなら、お前への愛は変わらないと抱きしめて、まずはなにより、聴くに徹します。

 

信仰上表明することは、他の人々に告げることと何も変わりません。

すべての人は、神と断絶され、滅びゆく罪人であり、誰もがただ、福音を信じて救われるのだと。

つまり、あなたの罪のために、主イエス・キリストは、十字架で死なれ、葬られ、復活された。そのことです。

 

本人が福音を信じないで、拒んでいるなら、それ以上できることはありません。

親として、子を愛する。

どうあっても関係が切れてしまわないように、祈り、関わりを保ち続ける。それだけです。

 

本人が、確かに福音を信じて、信仰を持っていると確認できた場合には、いわゆる転向療法のカウンセラーを紹介することもあるかもしれません。

もちろん、条件としては、本人が確かに同意し願っていること、療法を行うカウンセラーが、信仰的にも、専門家としても信頼できる人物であるということが第一です。

前の記事では、転向療法には反対だと書きましたが、実情がだいぶ分かってきた今は、それも一つの選択肢だと考えを改めています。

ただし、この日本で、信頼できるカウンセリングを行える、確かな実績もあるという人を、私は知りませんので、そんな人がいたら、の話です。

 

私にとっての最大の関心事は、誰に対してもそうですが、福音を信じるかどうかというそのことです。

人はただ、福音を信じて、神の怒りから救われる。永遠の滅びを免れる。そう信じているからです。

そして、人が本当に変わるとすれば、神への信仰しかないとも、私は確信しています。

福音を信じ、そして、主を信頼し続け、日々を歩むただ中で、人は変えられていくのだと。

 

人を真実に変える信仰は、どこまでも、本人と神との関係によるものです。

そこに、他者が介入できる余地はありません。

本人が心から望むならば、共に寄り添い、歩むことはできますが、それだけです。

どんなに身近な家族でも、その心に立ち入ることはできません。

他者の変化に対して、私は無力なのだ、ということは、いつも痛感させられていることです。

 

「Pray Away」で、一人異彩を放っていた、元トランスジェンダーのジェフェリーが代表を務める「Freedom March」

ただ、主イエスを信じて変えられた、という元LGBTQのクリスチャンたちが、教団教派を越えて集い、町に繰り出し、与えられた恵みを証言している。ただそれだけのグループです。

あげられた動画から、人々が、本当に喜んで参加し、行動していることが伝わってきました。

 

一方、コメント欄を観ると、「LGBTQを否定している、自分を騙しているだけだ、そんなひどいことはやめるべきだ…」等々、辛辣なメッセージが山ほど書き込まれています。

今のアメリカ社会では、少数であろう人々が、大きな圧力にもめげずに、発信し続けている。

喜びが、原動力なのだと感じました。

 

彼ら、彼女らが、発信しているメッセージは、たった一つのことです。

「信じたら、変わる」

どうにもできなかった自分が、それでも変えられていく。主がわたしを変えてくださる。

本当に、ただ、それだけのことなのだと、思い知らされます。

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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

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