聖徒伝167 イザヤ20~22章 幻の谷
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1. 裁きの器アッシリア 20章
アッシリアがペリシテの都市アシュドデを攻め取ります。
隣国の災厄は、エルサレムの危機感を高めたことでしょう。
イザヤが裸で歩いて示したのは、ペリシテやユダが頼りとしたエジプトが、アッシリアに侵略されることでした。
イザヤの死後、マナセ王時代に実現します。
2. バビロンへの裁き 21章
眼前に迫るアッシリアの脅威。
しかし、ここでイザヤが告げるのは、百年以上後の、バビロニアによる侵略と、その都バビロンの滅びについてです。
アッシリアを滅ぼし、世界帝国となったバビロニアは、油断した隙を突かれ、ペルシャに破滅させられます。
後に、イザヤの預言は、バビロンで捕囚とされたユダヤの民に、解放の希望を与えるものとなりました。
続いて記されるのは、エドムへの宣告。
バビロン捕囚でユダの破滅を喜び、便乗して略奪を行ったエドムもバビロンに侵略され、以降苦しみが続きます。
ユダが捕囚された後も、エドムには夜が続き、解放の時はやってきません。
自由を謳歌していた、アブラハムの子孫であるアラビアの砂漠の民、デダンやケダルも、バビロニアの支配下に置かれます。
神の裁きの器として用いられる国の恐ろしい力が現れています。
3. ユダへの裁き 22章
ユダには、アッシリアの侵攻が迫っていました。
三方を谷に囲まれたエルサレムも風前の灯。幻の谷という言い方は、危機的状況をよく現わしています。
敵前逃亡した首領たちは、捕らえられて辱められます。
イザヤの目には、さらに悲惨なバビロン捕囚が見えています。
圧倒的な侵略軍に、エルサレムが無力さを思い知らされる時が来ます。
城壁を補強し、弱点の泉の水を都に引き込むエルサレム。
しかし、神への信頼がなければ、すべては無意味です。
イザヤは、ヒゼキヤの重臣シェブナの偽善を暴きます。彼の結末は滅びです。
代わって重用されたのがエルヤキムですが、来るべきバビロン捕囚によって、すべては破滅にいたります。
4. 真実を見極められる方をこそ恐れよう
ダビデの血統を継ぐ重要な使命をになったエルヤキム。 彼が握ったダビデの鍵は、究極的には、栄光の主イエスが所持されます。
キリストが、信仰者と偽善者を選り分けられるのです。
永遠の滅びか。永遠の救いは、行きつく先は、二つに一つしかありません。
試練が、真実と偽りを分かちます。
アッシリア侵攻の危機に、ヒゼキヤの部下が選り分けられたのと同様のことは、地域教会でも起こりえます。
私たち誰もが、産みの苦しみの時代の波に溺れています。
まずは自分自身を堅く信仰に立たせましょう。
自分の罪を見つめ、過信せず、謙遜であろうとするならば、とにもかくにも、御言葉にしがみつき続けるしかないと教えられます。
満身創痍でそれでも強くさせられていくのが、リーダーたるべきクリスチャンです。
宣教の困難が、私を遣わし、謙遜に用いてくださいます。