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聖徒伝167 イザヤ20~22章 幻の谷

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


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1. 裁きの器アッシリア  20章

アッシリアがペリシテの都市アシュドデを攻め取ります。

隣国の災厄は、エルサレムの危機感を高めたことでしょう。

イザヤが裸で歩いて示したのは、ペリシテやユダが頼りとしたエジプトが、アッシリアに侵略されることでした。

イザヤの死後、マナセ王時代に実現します。

 

2. バビロンへの裁き  21章

眼前に迫るアッシリアの脅威。

しかし、ここでイザヤが告げるのは、百年以上後の、バビロニアによる侵略と、その都バビロンの滅びについてです。

アッシリアを滅ぼし、世界帝国となったバビロニアは、油断した隙を突かれ、ペルシャに破滅させられます。

後に、イザヤの預言は、バビロンで捕囚とされたユダヤの民に、解放の希望を与えるものとなりました。

 

続いて記されるのは、エドムへの宣告。

バビロン捕囚でユダの破滅を喜び、便乗して略奪を行ったエドムもバビロンに侵略され、以降苦しみが続きます。

ユダが捕囚された後も、エドムには夜が続き、解放の時はやってきません。

自由を謳歌していた、アブラハムの子孫であるアラビアの砂漠の民、デダンやケダルも、バビロニアの支配下に置かれます。

神の裁きの器として用いられる国の恐ろしい力が現れています。

 

3. ユダへの裁き 22章

ユダには、アッシリアの侵攻が迫っていました。

三方を谷に囲まれたエルサレムも風前の灯。幻の谷という言い方は、危機的状況をよく現わしています。

敵前逃亡した首領たちは、捕らえられて辱められます。

 

イザヤの目には、さらに悲惨なバビロン捕囚が見えています。

圧倒的な侵略軍に、エルサレムが無力さを思い知らされる時が来ます。

城壁を補強し、弱点の泉の水を都に引き込むエルサレム。

しかし、神への信頼がなければ、すべては無意味です。

イザヤは、ヒゼキヤの重臣シェブナの偽善を暴きます。彼の結末は滅びです。

代わって重用されたのがエルヤキムですが、来るべきバビロン捕囚によって、すべては破滅にいたります。

4. 真実を見極められる方をこそ恐れよう

ダビデの血統を継ぐ重要な使命をになったエルヤキム。 彼が握ったダビデの鍵は、究極的には、栄光の主イエスが所持されます。

キリストが、信仰者と偽善者を選り分けられるのです。

永遠の滅びか。永遠の救いは、行きつく先は、二つに一つしかありません。

試練が、真実と偽りを分かちます。

 

アッシリア侵攻の危機に、ヒゼキヤの部下が選り分けられたのと同様のことは、地域教会でも起こりえます。

私たち誰もが、産みの苦しみの時代の波に溺れています。

まずは自分自身を堅く信仰に立たせましょう。

自分の罪を見つめ、過信せず、謙遜であろうとするならば、とにもかくにも、御言葉にしがみつき続けるしかないと教えられます。

満身創痍でそれでも強くさせられていくのが、リーダーたるべきクリスチャンです。

宣教の困難が、私を遣わし、謙遜に用いてくださいます。

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