十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:無差別殺人が、なぜ起きるのですか?

2020/03/28
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:また信じられない事件が起きました。犠牲者を思うとやりきれないですし、
犯人への憤りも感じます。なぜこんなことが起きるのでしょうか?

1. 加害者への免れない裁きがある!

世の中で最も被害者意識が強いのは、無差別殺人を犯す人ではないでしょうか。

自分がこういう状況なのは、世の中が悪いのだと、すべての人を憎んでいる。だから相手は誰でもいいと…。

背後に難しい生育歴が指摘されたり、加害者にも同情すべき余地があったとしても、行った罪に対しては全く言い逃れの余地はありません。

苦しみを抱えて生きている人は多くとも、凶行にいたるのは、わずかな人だけです。

 

神は、義の方です。誰も、自ら選び、実行した、その責任を免れることはできません。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。(ヘブル9:27)」とある通りです。

犯した罪に相当する神の厳格な裁きが、その人を待ち構えています。

 

信仰者に求められる「赦し」とは、裁きを主に委ねることです。

「私は、あなたを裁かない。主が裁かれるから。」と。

主に明け渡し、平安を得ましょう。

あなたの心に平安がもたらされるためにも、赦しは必要です。

 

2. 被害者への主の憐れみを祈ろう!!

一人の子どもが、子どもをかばった親が、命を奪われました。

本人の無念と、残された方々の悲しみを思うと、言葉もありません。

 

亡くなった方のことは、主に委ねるしかありませんが、私は、被害者が通っていたのがキリスト教主義の学校だったことに、一つの希望を抱いています。

福音を聞いて、信じていたならば、何があろうと、その魂は無条件に救われています。

私たちが覚えるべきことは、公正な義の方であり、憐れみ深い愛の方である神が、完全なあり方で、その魂を取り扱ってくださるということです。

 

3. なぜ、こんなことが起きるのか?

なぜこんな悪が起きるのか。

人の罪によって世界が壊れてしまったからだと聖書は記します。

罪とは、的外れ。人が、善き方である神から離れてしまっていることが、すべての罪の根源です。

人は罪人なので、罪を犯すのです。

罪人だらけの世界に罪が途絶えることはありません。

 

4. 神の示した救いの約束

神は、世界を放置しておられるわけではありません。

人が最初の罪を犯した直後に、救いの約束を示されました。

その約束は、アダムからノア、アブラハム、さらにはイスラエルへと脈々と受け継がれていきました。

同時に、救いの内容も少しずつ明らかにされていったのです。

 

そして、救いの約束は成し遂げられました。

「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られた。(ヘブル9:26)」と、ある通りです。

裁かれるべき罪人が、罪人の身代わりにはなれません。

人の罪を贖うことができるのは、罪なき神の子であり、人であるイエス・キリストだけでした。

 

イエス・キリストは人類の罪のために十字架につけられ、死んで葬られ、死を打ち破って復活されました。

この三つの要素からなる福音を信じた者は、その瞬間、救われています。

復活されたイエスは、40日後、天に昇り、今は父なる神の右に座し、神の権威をもって、大祭司の務めを果たされています。

私たちの祈りを父なる神に届けてくださっているのです。

 

そして、世の終わり、主イエスは、世界の王として戻って来られ、悪を裁き、世界を楽園に回復されます。

「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、

二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。ヘブル9:28」

5. どうして主は、すぐに来ないのか?

なら、主イエスはなぜ、いまだに戻ってこないのか。神はなぜ、すぐにでも世界を裁かれないのか。

それは、一人でも多くの人を救いに導くためです。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。

かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、

すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。Ⅱペテ 3:9」

やがて、誰も逃れることのできない神の厳しい裁きの時がやってきます。

今という時は、神の最終的な裁きの前の猶予期間なのです。

福音が伝えられて、一人でも多くの人が信じて救われるために、クリスチャンは、教会は、伝道するのです。

 

6. すべての人に求められていること

罪を犯した人のこと、犠牲になった人のことは、主に委ねましょう。

私たち一人一人、すべての人に求められているのは、主が示された救いの道に、応答することです。

公正な義の神は、私たちの心をも探られ、裁かれる方です。

誰も、自分の力で、神の前に自分の正しさを主張することはできません。

 

私たちの内には誰しも、自分でコントロールできない罪が巣くっています。

誰もが被害者になり得ますし、同時に加害者になる可能性を持っています。

その根っこには、私たち人類が、創り主である神と離れてしまっている、という根源的な罪があるのです。

一体誰が、罪から逃れることができるでしょうか。

 

しかし、神はすでに、救いの道を示してくださっています。

すなわち、わたしの罪を贖うために、十字架にかけられ、死んで葬られ、死を打ち破って復活された主イエス・キリストは、今も生きておられるのだと。

このことを信じ、まさにそのような方として、イエス・キリストを人生に受け入れたその瞬間、あなたに、永遠の命、神との平和が約束されるのです。

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