十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

クリスチャンよ、リアリストたれ!!

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 根強く広がる楽観論

コロナ渦で、再び感染が広がる中、「コロナは問題ない」と主張する人々のデモが話題になっていました。
同様のデモは、世界各国で見られるようです。
重傷者も死者も減っている、弱毒化したんだ、と主張する人もいます。
しかし、科学的な根拠は、何もありません。

現在の感染拡大の波は、当初、若年層を中心に拡大しましたから、重傷者が少なかったのは当然です。
年齢を超えて拡大し、高齢の感染者も増え、それに伴い重傷者も増えてきています。

症状の進行に応じた必要な措置がなされるようになったのが、各国で死者が減少している最大の要因のようです。
死者数の減少が、医療従事者の必死の努力の結果であるなら、むしろ、人々に疲弊が蓄積されていないかと気になります。
事実だけを押さえて客観的に状況を見れば、楽観できる要素はありません。

 

2. 進化論的楽観論

“ウイルスの生存戦略のためには、宿主を殺してしまっては元も子もないのだから、宿主の生存を保ちつつ、勢力を拡大し続けていくために、ウイルスは弱毒化し、人類との共生を図っていくだろう。“
こういう主張も根強くあります。はたして、そううまくいくのでしょうか。

この考え方は、無意識のうちに、進化論という未だ立証されない仮説に基づいています。
仮説の上に、さらに仮説を積み上げているわけです。

多くのウイルスがそうであるように、新型コロナウイルスも、本来の宿主の内では、平和に共存していた。それは確かでしょう。
安住できる宿主がいるのなら、人類と共存する必要などそもそもありません。
人類が宿主の天敵であるなら、むしろ、人類を滅ぼしてしまった方が理に適うとも説明できます。
その場合、感染力を強めつつ、強毒化するのが、ウイルスにとっては最善ということになります。

“人類も世界も、よりよい方向へと進んでいる。“
この進化論的楽観論が、久しく人類の歩みを導いてきたのでしょう。
しかし、そんな楽観論を鵜呑みにできる状況ではなくなってきています。

現実の世界からは、右肩上がりの生物の機能の進化など、観察されません。
遺伝的組み合わせによって現れる生物の多様な特性の一つが、最適な環境と遭遇して繁栄することもあれば、適合できずに滅ぶこともある。
それは、偶然の産物にすぎないのです。
変異を重ねながら拡散している新型コロナウイルス。それがどうなるのか。誰も予測はできません。

 

3.聖書的価値観に立つなら

聖書的価値観で見るならば、疫病は、しばしば、神の裁きの手段として記されています。
聖書において、疫病は、イスラエルや諸民族の罪に対する裁きであり、終末に下される諸々の裁きの一つでもあります。

聖書に記された、過去に下された最大の裁きが大洪水です。
その発端は、人間が、種を越え、神の子らと呼ばれる堕天使(悪霊)と交わったことでした。
ソドムとゴモラの裁きにおいても、人々が、警告に訪れた天使を犯そうとしています。

神は、すべての生物を、それぞれの種類に従って造られました。
神の定められた種の壁を越えてしまうことが、最も重い罪とされていることがよく分かります。

コロナ渦の発端は、人間とある動物との種の垣根を越えられて、ウイルスがうつってしまったことにあります。
果てのない人間の貪欲によって、種の垣根が破られ、今のこの状況が生み出された。
だとするならば、感染症の拡大は、神の裁きの結果に他なりません。

 

4.現実に向き合うことは難しい 人の本性に付け入る偽預言者たち

新型コロナも消毒液を飲めば直る、うがい薬で予防できる…。
選ばれた責任ある指導者が、そんなデマをばらまく姿に唖然とします。
しかし、多くの人々の運命を左右する権力を、そのような指導者の手に託しているのは、私たち自身です。

自分たちは、神さまに守られているから大丈夫だ。そう主張して、行動を変えないカルト的教会もあるようです。
しかし、そこには何の科学的根拠も、聖書的根拠もありません。

なぜ、根拠のない楽観論にしがみついてしまうのか。
それが、人間の本性なのだと教えられます。
都合の悪い現実に、好んで向き合いたい人などいません。
何の根拠もないことでも、大丈夫だと強く言ってくれる人がいれば、人は安心します。

デマを振りまく指導者たちにとって重要なのは、何が真実かではなく、どう言えば、人々の心を捉え、支持を得られるかということにすぎないのでしょう。
人々の心を強く惹きつける、ある種の才能を持った人々が、真実など問題にせず、人の耳に心地よいことばかりを口にする。
聖書で、その代表が、“偽預言者“と呼ばれる人々です。

偽預言者、偽教師、そして、反キリスト。世の終わりに、ますます偽りがはびこることを、主イエスは警告されています(マタイ24章他)。

 

5.クリスチャンこそリアリストに!

コロナ渦は、指導者の本質をあぶり出します。
なぜなら、ウイルスには、人間的な配慮や忖度など一切通用しないからです。

私たちに今必要なのは、現実を見据え、客観的に物事を観察する視点です。
真に科学的で理性的な態度が求められます。

今こそ、クリスチャンが、その真価を発揮すべき時だと思います。
自らの罪を自覚したクリスチャンは、この世が罪に満ちていることを知っています。
人間的な努力で、世界に平和をもたらすことはできません。
再び来られる主イエスによってのみ、世界は回復されます。
この終末的希望を抱くクリスチャンこそ、目の前の現実をありのままに見すえることができるのです。

現在においては悲観的、将来においては楽観的。
何より、クリスチャンに求められる態度であると思います。

 

6. 終末的希望を抱いて

聖書ほど、人間の罪を赤裸々に記した書物はありません。
聖書は、私たちに、現実を正面から見すえるように迫ります。

聖書に記された真の預言者は、人々が最も聞きたくないことを正面から告げるよう、神に命じられ、従った人々です。
最も厳しい警告を告げたのが、イエス・キリストでした。

しかし、そのキリストを、人類は拒み、十字架にかけたのです。
主イエスの警告によれば、疫病(感染症)は、この時代に当然起こる出来事の一つに過ぎません(ルカ21:11)。

この時代の終わりの大患難時代に待ち構えているのは、人類の1/3が死に至る、空前絶後の大災厄です。
神の目から見れば、すべての人は罪人であり、そのままでは滅びを免れることは決してできません。

しかし、信じた者には希望があります。
イエス・キリストは、私の罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、死を打ち破って復活された。
天におられる主イエスが、裁き主として再臨される時、世界は回復され、信じた者はすべて、永遠に生きることが約束されているからです。

終末の希望こそ、クリスチャンが今を生きる力です。

人に期待せず、主だけに信頼する。
現実を見据えつつ、平安をもって歩む、主イエスの証人として、私たちは召されています。

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