聖徒伝162 イザヤ書5~6章 イザヤの召命 唇をきよめて主に聴き従おう
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1. 神の葡萄畑なるイスラエル 5章
主の愛する者、受肉前のメシアが導いたイスラエルは不信仰に陥りました。
厳しい裁きが下り、恵みは取り去られ、流血と悲鳴が沸き起こります。都は荒れ、大飢饉が襲います。
指導者は私欲に溺れ、民は律法を理解せず、裁きと呪いを招いてしまったのです。
すべてはよみに呑み込まれ、奢る者も低くされます。主は裁きによって、ご自身の聖を示されます。
口先だけの偽善者は災いです。嘘は悪魔の本質。滅びの道に通じています。
酩酊し、裁きを曲げる者に下る裁きは、刈り株を焼き尽くす徹底したものです。
なお燃やされる神の怒りは、終末の大患難時代に極まります。
反キリスト率いる世界中の大軍勢が、イスラエル殲滅のため攻め上ってきます。
人の知恵や力では逃れようがありません。
2. イザヤの召命 6章
南王国最盛期の王ウジヤが、晩年犯した罪によって病死した年、イザヤは預言者として神に召し出されました。
イスラエル、ユダが、世的にも、信仰面でも下り坂に入った時代でした。
天の神の神殿に挙げられたイザヤは、賛美する天使セラフィムを見ます。
神殿は、神の栄光で満たされました。
恐れひれ伏すイザヤの唇を、神がきよめられます。罪を赦されたのです。
「誰を遣わそう」という神の呼びかけに、「ここです。私が使わされます」とイザヤは即答しました。
イザヤに与えられた使命は、主の言葉を告げ、民の心を頑なにする、という驚くべきものでした。
せめて時を縮めて欲しいとイザヤは執りなしています。
主が示された希望は、捕囚後の残された民の帰還でした。
さらには、切り株となったダビデの聖なる裔からメシアが誕生すると。究極の残れる者こそ、メシアと言えます。
3. 求められる、たった一つの応答
罪きよめられ、召しに即答したイザヤ。罪の赦しは、神に仕えるための備えだと教えられます。
福音を信じて、十字架の血潮で罪きよめられた私たちは、キリストの弟子として遣わされます。
ただ、主の召しに答えるだけです。祈って決めますなどと応えた聖徒は一人もいません。
牧師や長老になることだけが献身ではありません。
すべてのクリスチャンは信じた瞬間、永遠に神の所有とされました。
その私を主に明け渡していくのが、聖化の過程です。
資質や状況など神には関係ありません。応答したあなたを主が最善の形で用いられます。
憂いは必要ありません。
すべての人はキリストの体の一部。体の役目としての聖霊の賜物は、必ず何か、与えられています。
先ず応答しましょう。
主に仕えるただ中で、聖霊の賜物は明らかにされていきます。
聴き従うと言うように、御言葉を聴くことと従うことは二つで一つです。
聖書を学んだ、感動した。ならば、具体的な行動を起こすだけ、です。
主があなたに求められている返事は一つだけです。
「私はここにいます。私を遣わしてください」 即答しましょう。