十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

この社会が教えていることとは? 命は偶然? …なら、生きる意味など探しても無意味です。

2017/11/21
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 命は、偶然と生存競争の結果?

生命の起源について、日本の学校で公に教えてられている唯一の価値観が進化論です。

命は偶然に生じ、偶然に進化し、1つの命も偶然に生まれてくる…。

すべては偶然に過ぎないという価値観で、命の大切さを教えられるでしょうか?

進化論で命の尊さを現そうとしたら、「あなたは何億分の一の確率で生まれてきたのだ」とか、確率論で説明するくらいのものです。

しかし、奇跡的な確率で生まれてきたはずの自分も平凡な人間の一人に過ぎないことを、ほとんどの人は、否応なく、現実的に思い知らされているのではないでしょうか?

さらに奇跡的な確率を重ねなければ、恵まれた環境、才能を持って生まれてくることはできないのだと…。

2. 偶然の人生に何の意味がある?

命が偶然の結果に過ぎないなら、人生の意味など求めても無意味です。

テリトリーを広げ、富を増やし、子孫を残す。それくらいが関の山です。

それすら実現できなければ、生存の意味などない、ということになりますが、今の時代、これを十分に満たせる人が、はたしてどれくらいいるでしょうか。

自由にできることは極めて限られ、富というほどのものもなく、子孫を残す以前に、結婚すらおぼつかない…、となれば?

早々と道は断たれ、後はただ、死を待つだけの人生です。

3. やりたいこと、やったもん勝ちなら?

命は偶然に過ぎず、生存本能で生きるのが人間だと言うのなら、残されているのは、欲望を満たすことだけです。

一度きりの死んだら終わりの人生なら、やりたいこと、やったもん勝ちです。

このような世界観の社会で、いかに自分の欲望を満たすかが、多くの人の関心事になって当然です。

欲望を最優先とすれば、社会的な倫理も道徳も、邪魔でしかありません。

あらゆることを自分の好きなようにしたいという支配欲を究極的に満たすもの。それが殺人ではないでしょうか?

この世で、他者の命を奪うことが究極の支配だと理解し、実行に移す人々が、計画的殺人者なのだと思います。

独裁者は、例外なしに虐殺者です。

計画的殺人者とは、支配欲に魂を売り渡した人々なのではないでしょうか?

4. 人生に意味をもたらすために!!

殺人者に対抗する、ただ一つの価値観は、全知全能の唯一の神の存在を認める価値観だと、わたしは確信しています。

すべてをご存じの神が、一人一人のあらゆる行為も思いも把握されていて、やがて厳正な裁きをくだされるということ。

唯一の創造主なる神への恐れ以外に、人間の心に歯止めをかけうるものがあるでしょうか?

人生の意味を与えるのも、神だけです。

すべての命は、神の大切な作品であるがゆえに尊く、神は、すべての人に救いの手を差しのばしているのです。

地上に悪があるのは、神が人に自由意志を与えられたからです。それは、人が愛する存在になるためでした。

背く自由がなければ、神を愛する自由もありません。

光がないのが闇であり、悪は愛の欠損です。

神を愛することができなければ、真実に人を愛することもできないと聖書は記しています。

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