十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

クリスチャンは絶対平和主義? 非暴力が正統な道?

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 「殺すなかれ」は、戦争反対?

クリスチャンの中には、戦争も軍隊も全否定する人がいます。「殺すなかれ(出20:13)」という十戒の一つがよく引用されます。

しかし、「殺すな」は、平時の故意の殺人が対象であり、律法において、重大な規約の違反者には、死刑が定められています。

2. 「左の頬を指し出す」とは?

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい(マタ5:39)」とイエス様は言われました。

これは律法の中の「目には目を、歯に歯を」についての、メシアご自身による正統な解釈です。

「目には目を」は、同害報復法と呼ばれ、際限のない復讐の連鎖を防ぐために厳格に復讐の範囲を定めたものです。しかし、この律法すら、人は守り切ることができませんでした。

ましてや、右の頬を打たれて、左の頬を差し出すなどということを、人は人の意思でできるでしょうか?

人間の復讐の連鎖、終わることのない罪を終わらせられるのは、全く罪のないメシアの十字架の犠牲だけです。

イエス様は、十字架の死に至るまで全く無抵抗でした。

「右の頬を打たれて左の頬を指す出す」 これは、イエス様の十字架のあがないを示しています。

3. 人にはできないが、神にはできる。

イエス様が天に昇られて後、今度は弟子たちが、イエス様のような無抵抗の殉教の死を迎えていきます。

最初の殉教者ステパノは、死の間際に、「この罪を彼らに負わせないでください」と叫びました。

遠藤周作氏作の「沈黙」に描かれているように、日本でも多くの信者が、主イエスを信じて殉教の死を遂げました。

しかし、これは、人間の意思や決意でできることではありません。

あんなことが自分にできるだろうかと悩むクリスチャンは多いですが、自分の意思では、無理に決まっています。

“もし、わたしが殉教しなければならない時には、神が、それに耐えられるように助けてくださる。” それが信仰です。

神は、信じる者には、御言葉や状況を通して雄弁に語りかけ、力を注いでくださるのです。

左の頬を差し出せるのは、聖霊がクリスチャンを助けてくださるからです。

これを、信者でない人や組織に求めるのは、前提が間違っているのです。

もし、信仰によらず、人間の意思の力で、非暴力や絶対平和を実現しようとするなら、どこかで矛盾が生じ、破綻するでしょう。

熱心に平和活動をしながら、家族に対しては暴力的で支配的、なんてことになってしまいかねません。

4. 今も続いている、悪との戦い

聖書に、信仰深いローマの百人隊長が何人か登場します。

百人隊長は、当時、世界最強を誇ったローマ軍の職業軍人です。現代なら士官というところでしょうか。

しかし誰も、兵士をやめるよう命じられたとか、やめたとは書かれていません。

そのうちの一人、カペナウムの百人隊長に、イエス様は、「これほどの信仰はイスラエルの誰にも見たことがない」と言って褒められました。(マタ8:10)

この百人隊長は、権威に徹底して信頼し従う、軍人ならではの従順な姿勢を、メシアに対する信仰で示したことで、イエス様に褒められたのでした。

聖書は、悪の存在を明確に記します。悪との戦いは、堕罪以来、続いてきました。

悪は確かに存在し、戦いは避られません。

ただ、クリスチャンが悪と戦う最上の方法が、神ご自身に委ね、信頼するということなのです。

なぜなら、すべての悪を厳しく裁く、義なる神が戦ってくださるからです。

5.ひとりひとりに委ねられている

実際の状況の中で、どうするかは、個々のクリスチャンに委ねられていることでしょう。

非暴力という戦いは、クリスチャンにとって最上の戦いだと思いますが、信仰によって、はじめて可能になることです。

これは決して、人が人に要求できる戦い方ではありません。

悪との戦いに、どのように参加するのか。

無抵抗ですべてを主に委ねるのか、銃を手に取るのか。

個々に信仰をもって応答すべきことだと思います。

「 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。」 Ⅰペテロ 5:8~9

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