ネットは世界を広げるのか? 狭まっていく、わたしの世界
2017/06/08
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検索はどんどん賢くなり、わたしの興味や関心までも先取りして表示してくれる。SNSには、自分の考えに近い立場の人々が、自ずと周りに集まってきて、「いいね」と言ってくれる。
ともすると、自分が世界の中心にいるかのような錯覚に陥ってしまいそうだ。ネットが快適で便利になるほど、私たちの世界は狭くなっていく。
どんな理由があるにせよ、相手への敬意は必要だ。それが国家のリーダーなら、なおさらのこと。なぜなら、その人は、多くの人の支持を得て、リーダーとなったのだから。
リーダーに浴びせる罵声は、とどのつまり、そのリーダーを選んだ人々に向けられている。
同じ感覚、考えの者同士、同調するのはたやすい。私たちにとっての最大の課題は、自分と異なる立場の人と、いかに理解を深めるかということだ。
それ以前に、接点があるのかどうか。本当に世界を変えたいと思うのなら、居心地の良い、小さな世界にとどまっていていいわけがない。
わたしの周りに、異なる意見の人がいるのかどうか、と問われる。わたしのSNSの投稿には、異なる立場の人が併存しているだろうか?
「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。」ロマ 12:14
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私の住むこの田舎には真の神を信じる人は、恐らく私を除いて皆無かも…公に現す事なく信じている人がいるかもしれない…そうだったら、嬉しいけど…こんな環境で日々生きることは日々戦いです‼日曜日のフォーラムでの礼拝が待ち遠しいけど、主はここに私を今置かれている❗本当の希望が何かを知らずに、ご近所との比較の中で自分を慰め励ましている隣人達。この人達にいかに神の愛、キリストの福音を伝えるか‼が、今の私の第1の祈りの課題です主にある兄弟姉妹との週1の交わりから力を得て、居心地の良くない人達のために生きる‼主の支え無しには出来ません
先日、鹿追を訪問くださった、中川先生とも懇意にされているある先生が、神の主権ということを言われていました。わたしがこの地域に遣わされたのは、神様が救おうとされている方がいるからだと、ぽつぽつと与えられる出会いを通して教えられています。
わたしのようなものでも救われたのだから、この地域でも、この人も、必ず聖霊が救いに導いてくださるはずだ、と思えます。明日はペンテコステですね♪