Q:信じるだけでいいなら、行いは?
目次
Q:信じるだけで救われるなら、その後は何をしたっていいなんてことに なりませんか? 行いがなければ意味がないと思うのですが…?
①聖書では、心も体も一体です!
聖書では、心で信じることと、口で告白することが同時に求められています(ロマ10:9~10)。
イエス様は、導く者のない群衆を「深く憐れまれ」ました(マタイ9:36)。元は、はらわたがよじれるほどに、という意味の言葉です。
イエス様は、人々の痛みを、ご自身の痛みとして受け止められ、病を癒し、悪霊から解放されました。
聖書の教える救いは、心や魂だけではありません。体も、回復した楽園の世界(千年王国)で復活するのです。
②信じたなら、行いに現れるはず!!
ヤコブ書には、行いのない信仰は死んだものだとし、行いによって義とされた人物の名を聖書から挙げています(ヤコブ2章)。
これは、信仰によって義とされるという救いの原則と矛盾するものではありません。信じて救われたものは、どう歩むべきかを教えているのです。
行いは実です。本当に信じたなら、聖霊がその人の内に働いて、その人を変え、成長させ、その結果は、その人の生き様、行いとなって現れるはずです。
信じて何年たっても何も変わらないなら、本当に信じているのか問われます。
③成長の実感が、救いの確信に!!!
本当に信じたかどうか、外からは分かりません。ただ口で信じますと言っても、主への信頼がなければ、無意味です。
人は、福音を信じて救われますが、本当に自分は救われたんだ、という確信を得るためには、自分自身の成長が実感できることが必要不可欠です。
そのためには、自分には分からない変化を教えてくれる、クリスチャンの兄弟姉妹の存在も欠かせません。一人だけで成長するのは、至難の業ですね。
信じて救われた「義認」の後には、「聖化」という成長の過程が必須なのです。