十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

創造主なる神様が、結婚式の主です

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 結婚式の主は、創造主なる神様です

結婚式の司式をしていて、いつも感じるのは、結婚式とは、本当に祝福される時だということです。

面談の時には、新郎新婦に、一つのことを信頼して誓ってくださいとお伝えしています。つまり、「神様がお二人を夫婦とされ、夫婦としての歩みを助けてくださる」ということです。

先日お会いした新婦さんは、この時点でぽろぽろ涙がこぼれ出しました。なぜか分からないと、当惑されていましたが、式のメッセージの時にも再び涙が流れ出し、式中ずっと止まりませんでした。

福音のメッセージそのもので泣かれる方は、わたしも初めてでした。神様ご自身が、彼女の心に触れられたのだと思います。

結婚式の本当の主は、神様ご自身であることを改めて教えられました。

2. 結婚のために人は造られました

創世記3章。神は、まず男を作られ、男から女を作られました。一つのものから二つを造った。ここが肝心です。

男と女は元々が一つであったがゆえに、結婚によって再び一つとされるのです。

神様は、人を再び一つとするために、二つに造られました。人は、結婚のために、男女に造られたのです。

男女の結婚は、天地創造の初めからある、神様ご自身の定めです。

3. 究極の結婚は、神と人との結婚です

イエス様は、離婚についての聖書的解釈を求められたときに、「神が結びあわせてくださったものを、人は離してはならない」と語られました。

そのため、不貞以外の理由での結婚は禁じられているわけですが、離婚禁止の命令には、もっと大きな意味があります。

聖書は、結婚を、何度も神と人との関係で語っています。

神の民であるイスラエルは、「ヤハウェの妻」、クリスチャンは、「キリストの花嫁」と呼ばれます。

結婚は、神と人とのあるべき関係を現す型(影)です。神が人を造られたのは、人と再び一体になるためなのです。

一度信じて救われた者は、神の変わることのない約束のゆえに、その救いを失われることはありません。

同じく、信じて主の花嫁となったクリスチャンが、神に離婚されることは、決してないのです。

4. 結婚が、永遠に至る道の始まりとなりますように

福音を信じ、究極的な神との結婚をなした者は、もはや、人間的な男女の結婚は不要であり、するかしないかは、個人の判断に任されています。

私たちが何より大切にすべきことは、神ご自身を知り、神と結婚すること。キリストの花嫁となることです。それこそが、永遠の命にいたる道なのです。

そのために必要なのは、福音の三つの要素を信じることです。

すなわち、神のひとり子イエス・キリストは、あなたの罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、復活され、今も生きておられるのです。

二人の男女を夫婦とされるのは、神様ご自身の業であり、結婚式の主は、イエス・キリストです。

神の前に誓い、夫婦として歩み出されたお二人が、永遠の祝福に至りますように。お祈りしています。

【創世紀2:20~24】
人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。
神である【主】は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
神である【主】は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

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