宗教改革五百年に 宗教改革で回復された救済論 されなかったイスラエル論、終末論

      2017/11/09

0.  宗教改革500年の節目に

先日の2017年10月31日の宗教改革記念日には、あちこちで、宗教改革500年を記念する行事が行われました。

宗教改革から生まれたプロテスタント教会。過ちに陥った教会にプロテスト、抗議したことがその始まりでした。

批判的な視点をもって、宗教改革を改めて振り返るのは、プロテスタント教会にふさわしいことだと思います。

1.  回復された、救いの教理

ルターが再発見した救いの教理とは、人は、信仰により、恵みによって救われるという聖書の大原則でした。

何かの行いの結果、救われるのではなく、ただ信仰によって「義」、すなわち「神の目に正しいもの」とされる。それが、「信仰義認」です。

また、「聖書のみ」「万人祭司」という原則も確認されました。中世において、長らく、ローマカトリック教会だけが、聖書を保有し、聖書を解釈する権威を持つとされていました。

これに対し、信者一人一人が、聖書を読み、神とつながり、聖書を解釈する権威を持っていることが認められたのです。これを可能にしたのが、母国語の翻訳聖書と印刷技術の革新でした。

「ただ、信じて救われる。」この救いの教理の回復は、多くの人々の目を世界宣教へと向けさせることにもなりました。

2.  国教化していったプロテスタント

ただ純粋に、聖書の真理に立ち返ることを求めたルター。

しかし、領主の信仰が領民の信仰となる時代にあって、カトリックか、プロテスタントか、という選択は、政治的対立につながっていきました。

やがて、プロテスタントもまた、公認された国の国教となっていきました。

国教化した教会から反発して、新たなグループが生まれ、そこが組織化し硬直すると、また新たなグループが生まれ…と、分裂を繰り返してきたのがプロテスタントでした。

3.  未回復だったイスラエル論と終末論

ルターが、「イエス殺しのユダヤ人」として、ユダヤ人に対する強烈な差別意識を持っていたことはよく知られています。それは、当時の教会に共通したものでした。

背景には、メシアを殺したイスラエルは、教会という「霊的イスラエル」にとって代わったという置換神学の影響があります。4~5世紀頃から教会の主流となった考えです。

宗教改革以降も、イスラエルをどう理解するかという、「イスラエル論」については、置換神学が主流のままでした。

終末の理解に関わる「終末論」は、どうだったでしょうか?

キリスト教がローマの国教となって以降、教会が世を支配し栄華を誇る中で、神の王国である千年王国は教会において成就したのだ、という無千年王国説が主流になっていきます。

使徒たちや初代教会が持っていた再臨のキリストを待ち望む信仰は薄れていきました。

宗教改革以降は、千年紀後再臨説が起こってきます。これは、世の教会、人間の力によって、世界は神の王国、楽園へと変えられていくという考えです。大航海時代、産業革命と続く、華々しい時代にあって、多くの支持を得ていきました。

しかし、その結末は、二度にわたる世界大戦であり、ユダヤ人の大虐殺という未曾有の惨劇でした。

4.  ヘブル的視点からの教会の回復

今、世界の教会に大きな転機が訪れています。聖書を本来の文脈である、ヘブル的視点から読み、理解する働きです。

宗教改革が残した課題、イスラエル論、終末論が回復される時代に、私たちは生かされています。そこには、メシアニック・ジューが、大きく貢献しています。

イスラエルでは、インターネットを通したユダヤ人伝道が、メシアニック・ジュー自身の手で広がっています。終末時代における信仰が問われています。

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