動画&まとめ ⑩マルコ8章 十字架を負うということ 歴史的信仰告白をしたペテロが、イエスに厳しく叱責されたわけ
目次
1. 4千人の食事の奇跡 8:1~10
異邦人の地で大勢の人々が集い、三日もイエスの話を聞き続けていました。
パンを与えよと命じられ、弟子たちは戸惑いながら7つのパンを差し出します。
イエスは、パンを弟子たちに与えられ続け、人々が満たされた後には、7つの大かごいっぱいのパンがありました。
2. 目が開かれていく弟子たち 8:11~26
大騒ぎを逃れ、久々に対岸のユダヤ人の地へ渡ったイエス。すると、すぐにパリサイ人が議論を仕掛け、天からのしるしを求めました。
しかし、メシアを拒んだこの世代のイスラエルに与えられるのは、復活のしるしだけです。
最短の滞在後、パンを忘れて言い争う弟子たちに、イエスは、パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に気をつけなさいと警告します。律法主義と世俗主義が、教会を蝕む大きな要素です。
理解しない弟子たちにイエスは、5千人のユダヤ人と4千人の異邦人の食事の奇跡の意味を問いかけます。
残った12かごのパンは、全イスラエルの救い。7つの大かごのパンは、救われるべきすべての異邦人を意味していました。
共に、奥義としての王国時代、主の再臨までに起こることの予告でしたが、弟子たちは何も理解していません。
ベツサイダでイエスは、一人の盲人を癒やします。この癒やしが二段階で起こったことは、弟子たちの目が段階的に開かれることを表していました。
3. ペテロの信仰告白 8:27~30
領主ピリポの築いたカイザリアは、岩壁に偶像の神殿が築かれ、ヘルモン山の伏流水がとうとうと流れ出す地でした。
ここでペテロは、イエスは神に等しいメシアだと歴史的信仰告白をしました。
4. イエスの受難予告と叱責 8:31~37
初めて受難を予告したイエスを、上から目線でたしなめたペテロは、「下がれ、サタン」と厳しく叱責されます。
イエスを十字架から遠ざけようとするのは、サタンに加担することだからです。
さらにイエスは、自らも十字架を負うよう、弟子たちを促しました。
5. 十字架を負うということは?
十字架を負うとは、主に従ったがために、自分に原因のないことで、世にあってあざけられ、辱められることです。
世の評価を得たいという欲求は、クリスチャンを主から遠ざける罠です。主が承認されていると覚えましょう。
クリスチャンは誰しも、潜在的に試練を求めています。どんなに信仰を離れ、逃げている時も、それは消えません。
クリスチャンにとっては、実は、逃げているという状態が、一番苦しいのです。逃げるほどに、内側の葛藤が激しくなるからです。
私は、主イエスの十字架の道を追い求めますと自覚するとき、それが力となります。聖霊が助けてくださいます。