Q:悪魔(サタン)や悪霊ってホントにいるの?
目次
Q:悪魔や悪霊をやたらと強調する人もいれば、象徴的なものにすぎない、と
いう人もいますよね。どう考えたらいいのでしょうか?
1. 悪魔の存在抜きに説明できないことがあります
無差別殺人や、大量虐殺(ジェノサイド)のように、言語を絶する悪があることは否定できません。
なぜ、そんな凶行に及んだのか?
多くの人々が、様々な背景から探ろうとしてきましたが、真実の原因にたどり着けた人はいません。
その試みは、超えがたい深い溝に阻まれるのです。
どんなに悲惨な状況や、辛い生育歴があったとしても、それだけでは説明のしようがないものがあるのです。
加害者が「ひきこもり」だったと報道されれば、「ひきこもり」が原因であったかのように言う人が必ずいます。
しかし、当然のことながら、何万というひきこもりの人々の中で、人の命を奪うような凶行にいたる人など、ごくごくまれです。
そこには、生育歴とか、社会的背景を越えた、全く異質の問題と原因が存在するのだと理解する必要があります。
「平気で嘘をつく人たち」という本を読んで印象に残っていることがあります。
重大な犯罪を犯した人々の多くが、何かと取引して、自分の良心を明け渡した瞬間があったと自覚しているそうです。
ある人々は、それを悪魔、悪霊との取引と表現しています。
2. 人格的存在である悪魔、悪霊
聖書は、悪魔(サタン)、悪霊を人格的な存在として記しています。
悪魔、悪霊は人格的存在として人間に働きかけ、交わり、悪に誘い、破滅に引き込みます。
アダムとエバを罪に誘ったのは、蛇を通して働きかけた悪魔でした。神への疑いを生じさせ、神のようになりたいと欲望をかき立て、背かせたのです。
カインが弟アベルへの嫉妬と怒りに駆られた時、神は、「悪が戸口で待ち伏せしている」と警告されました。
悪魔は、人格的存在であるがゆえに、人間の弱みや罪の性質を知り尽くしており、巧みに誘い、破滅へ導くのです。
人に罪を犯させ、滅びに誘う、人格的な悪の存在がある。それが悪魔、悪霊なのです。
3. 悪魔、悪霊の起源と目的
聖書のテーマは、神の栄光であり、神と人との契約が軸です。
悪魔については、必要最小限のことが断片的に記されているだけです。
そこから推察できるのは、悪魔は、元は、神の最も近くで仕える大天使であったのが、自ら神のようになろうとした。(エゼキエル書28:11~19,イザヤ14:12~14)
そして三分の一の天使と共に神に反逆し、地に落とされた、ということです。(黙示録12:3~4)
この「元大天使」が「悪魔・サタン」であり、その配下の「元天使たち(堕天使)」が「悪霊」です。
強大な力を持ち、宇宙の支配者である悪魔ですが、神から見れば、被造物の一つに過ぎません。
悪魔には、創造主である神に対抗する力はありません。
なので、神が最も愛し、大切にする人間を破壊しようとするのです。
悪霊の首領である悪魔をサタンと呼びますが、サタンという言葉は、「敵対者、反抗する者」の意味です。
サタンは、本質的に、神に反抗する者、敵対者なのです。
また、悪魔をデビルとも呼びますが、語源はギリシャ語の「ディアボロス」。「訴える者」「中傷する者」という意味です。
悪魔は、「吠え猛る獅子のように(Ⅰペテロ5:8)」、絶えず獲物を求めて徘徊しています。
4. 悪魔、悪霊の定められた運命
悪魔、悪霊の罪は確定しており、悔い改めるに至ることはあり得ません。
主イエスの再臨の際には、陰府の奥底に閉じ込められ、千年後、燃える火の池へ投げ込まれ、永遠の滅びにいたります。
主イエス・キリストが十字架の贖いの業を成し遂げられたとき、悪魔、悪霊の敗北は決しました。
真の支配者であるイエスが、まだ戻ってこられない今、悪魔は、地上を不法占拠しています。
神は、裁きの前の猶予期間として、一人でも多くの人を救いに導くために、この時代を保たれているのです。
ですから、「今は恵みの時、救いの時」なのです。(Ⅱコリント6:2)
5. 悪魔、悪霊の数
悪魔・サタンは、一体だけです。
悪霊の数は、不明ですが、天使と同じく生殖能力はないので、増えることはありません。
福音書には、悪霊に憑かれた人々が多く登場し、ユダに至っては悪魔自身に取り憑かれています。
この時代は、メシアの妨害のため、イスラエルに悪の勢力が結集していました。
イエスが天に昇られた後の使徒の時代には、悪霊の出現は激減しています。
再び、世界中に散らされていったということでしょう。
福音書の時代が特別なのであって、今の時代には、周りに悪霊がうじゃうじゃいるなどと恐れる必要はありません。
6. 悪魔、悪霊の性質と限界
神の御性質の一つが、「偏在」。同時に、あらゆるところに存在される、ということです。
しかし、悪魔は、一カ所にしかいることができません。
悪魔が、一度に働きかけられるのは、何十億もいる中の、一人だけ、ということです。
では、悪魔には、超自然的な力は備わっているのでしょうか?
荒野の誘惑で、悪魔は、イエスを連れて一瞬で移動しています。
これは、おそらく、イエスの霊だけを伴っての異動であったと思われます。
これが肉体をも伴う物理的な移動であったということなら、父なる神がそれをなされたということになるでしょう。
霊に過ぎない悪魔に、物理的な超自然的な力があるとは考えがたいからです。
悪魔の意図で、人に物理的な攻撃が加えられている場面が、ヨブ記に記されています。
しかし、その背後には、神の許しがありますから、神ご自身がなされたことだと理解するべきだと思います。
このように悪魔や悪霊は、肉体を持った存在ではないので、直接、物理的に人間に危害を加えることはできません。
ですから、人間の心に働きかけて、人間を通して悪をなそうとするのです。
映画化もされた「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」。作中で、悪魔は、一つの指輪を通して人に働きかけます。
指輪そのものに力はないのですが、人の心を巧みに誘惑し、捕らえ、悪を行わせるのです。
悪の本質をよく描いていると思います。
典型的に描かれる悪魔の姿は、コウモリのような翼に、ヤリのような尻尾を持つ、真っ黒な姿であったり、山羊の怪人だったりします。
こんな姿で現れてくれれば、見分けやすくていいのですが…。
時に、悪魔は、光の天使を装って現れます。(Ⅱコリント11:14)
7. 悪魔、悪霊との戦い方
悪魔、悪霊に対して、私たちの覚えておくべき姿勢は、いたずらに恐れないこと。そして、侮らないことです。
あなたが、主イエスを信じたクリスチャンであるならば、悪魔や悪霊を恐れるには及びません。
聖霊の証印が押され、主のものとされたあなたに、悪霊が取り憑くことはできないからです。
また、悪魔、悪霊は、神の許された範囲でしか行動できません。
事故や病気など、何か悪いように思えることがあなたに起こったとしても、それは、神の許された範囲で起こっていることであって、悪魔や悪霊のせいなどではないのです。
ただし、悪魔、悪霊は生来の嘘つきですから、自分がやったように思わせることには長けているでしょう。
悪魔、悪霊との戦いの前に、まず確認すべき原則は、まず、私たちは、主イエス・キリストによって、すでに勝利しているということです。
悪魔も悪霊も、滅び行く敗残兵に過ぎません。
主の勝利は決し、悪への裁きは定められました。
天地万物を造られ、救いの業を成し遂げられた神が、ご自分の約束の全てを完全に成就されます。
主イエスが、荒野で悪魔の誘惑を退けたときに用いられたのは、よく知られた聖書の御言葉だけでした。
日々、御言葉に親しみ、聖書をよく学び、兄弟姉妹と分かち合い、交わりつつ歩んでいるなら、それで十分です。
もう一つ、悪魔、悪霊との戦いで有効なのは、自分の弱さを自覚していることです。
悪魔、悪霊は、常に、私たちの弱い部分をとっかかりにして、誘惑し、攻め落とそうとするからです。
「わたしにはできません。どうか、主よ助けてください。」と、自分の弱さ、罪を主に明け渡していきましょう。
あなたを贖われた主が、あなたを助け、個人的戦いの一つ一つにも勝利を治めてくださいます。
そのことを信頼し、ただ、栄光の主を見上げて歩んでいきましょう。
栄光の主の御顔を仰ぎ見続けていくこと。それが、悪に対抗する最大の力となります。
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Comment
悪霊のことで質問させてください。
クリスチャンには聖霊様が内住してくださっていますが、悪霊は聖霊様が内住しているのを認識することができますか?
聖霊が内住されているクリスチャンには、悪霊が入り込んで棲みつくことはできませんよね。
(たとえ、一人クリスチャンが、どんなに信仰的に後退しきっていて、はためには、考えがたいひどい状態におちいっていたとしても)
ということは、悪霊は、その人が福音を信じたクリスチャンであり、聖霊が内住されているということは、はっきり認識しているものと思われます。
悪霊は、攻撃すべき人を、はっきり見分けて、的確に攻撃するのでしょうね。