十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

 Q:あれもこれも悪魔のせい? 悪魔の仕業か 神の御業か

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

Q:新型肺炎もそうですが、牧師が事故に巻き込まれるとか、信徒が病気になるとか、それもこれも、やっぱり悪魔の仕業なんですか?

1.それって悪魔の仕業なの?

シンガポールのある教会で、新型コロナウイルスの集団感染(クラスター)が起こってしまったそうです。

残念ながら、ウイルスは、クリスチャンだけを避けていってはくれません。

クリスチャンにも牧師にも、いろんなことが起きます。事故にあったり、病気をしたり。神様を信じているなら、なんでそんな目に遭うのでしょうか?

 

それを悪魔(サタン)や悪霊の仕業だと言う人がいます。

神様の働きを担うクリスチャンを、悪魔が妨害していると言うわけです。

「悪霊よ出て行け。退け」と激しく、熱心に叫び、祈る人々がいます。

悪いことは、すべて悪魔や悪霊の仕業だと言わんばかりですが、本当にそうなのでしょうか?

 

2.悪魔にできること・できないこと

悪魔は、物理的な力で人や自然に、直接、害を与えることができるのでしょうか?

ヨブ記には、神と悪魔とのやりとりが記されています。悪魔が災厄を起こしたり、ヨブを病に陥らせたりしているようにも読めます。

一方では、ヨブ記2:3には、悪魔が神をそそのかしたとあります。出来事自体は、あくまでも神がなされたことだとも理解できます。

 

重要なのは、悪魔は、神の許しを経て、ことに及んでいるということです。

悪魔に、直接的、物理的に力を振るうことができるにせよ、できないせよ。神のゆるしの範囲でしか、ことは起きません。

悪魔には、神の御心に反したことを行う力はないのです。

そう考えると、悪魔自体の力の有無は、たいした問題ではありません。大事なのは、神様の御心だけなのですから。

 

3.すべては神のゆるしの範囲で

聖書の神は、全知全能の神です。すべてのことをご存じて、すべてを支配しておられます。

悪魔も悪霊も例外ではありません。この地上のあらゆることは、神の許しの範囲を超えて起きることはありません。

新型コロナウイルスの感染拡大も同様です。これも神の御手の内にあります。

病を患い、亡くなった方の命すらそうです。

 

武漢で患者の発症当初から警鐘を鳴らしていたにも関わらず、当局に拒まれ、自身、新型肺炎で命を落とした一人の医師。彼は、実はクリスチャンだったと聞きました。

彼が残したとされた詩を読みましたが、英雄にはなりたくないと、家族との小さな幸せを求める内容に胸が詰まりました。

理不尽に見えるその死すらも、しかし、神のゆるしの範囲で起こっているということなのです。

 

4.悪魔や悪霊に惑わされないで

ある牧師が、友人の牧師を亡くした後、「俺がやったのだ」という悪魔の声を聞いたのだそうです。

真偽の程は確かめようがありませんが、その意味は、聖書に照らして受け止める必要があります。

生殺与奪の権利は神だけが持っています。

一羽の雀も、髪の毛一本も、神の許しなしに落ちることはないと、主イエスは断言しました。(マタ10:29~30)。

ですから、前述の牧師の死も、悪魔の仕業ではなく、神の御業です。

 

真実を偽るのが悪魔・悪霊の本質です。

そうやって、悪魔は、自らに死をも司る力があるかのように、振る舞っているだけなのです。

理不尽な出来事に遭遇するとき、誰だって、それを神の御業とは思いたくないでしょう。

悪魔がやったことにすれば、気持ちもいくらか和らぎます。

しかし、その最大の問題は、神の権威を地に貶めてしまうことです。

なぜなら、全地の支配者である神の力を信ぜず、神に等しい権威を悪魔に認めることになってしまっているからです。

あれもこれも、悪魔の仕業だと考えてしまうなら、それこそまさに悪魔の思うつぼなのです。

 

5.神の視点からしか見えないこと

神がゆるされていることには、二つあることを理解しましょう。

神が心から願っておられることと。神の本意ではないけれど、ゆるしておられることです。

神は、私たちに選択の自由を与え、その結果をも含めて認めておられます。

誤った行動の刈り取りは、自分で担うことになるわけですが、それもまた、神の許しの範囲の出来事なのです。

 

そもそも地上の不条理は、人が神に背いた罪から生じています。

壊れた世界が完全な滅亡に至らないのは、根底で神が支えておられるからに他なりません。

神は、一人でも多くの人を救いに導くために、忍耐して裁きの時を遅らせておられるのです(Ⅱペテロ3:9)。

すべての人は死んで裁かれることが決められています(ヘブル9:27)。

主を拒んだ者を待つ裁きは、永遠の滅びです。それこそが最悪の結末なのです。

私たちの目から見れば、どんなに悲惨な死であったとしても、福音を信じていたなら、その行く先は神の国です。

 

誰も、人の心の内は分かりません。

信じたのか、信じないままだったのか。その人の死が示す本当の意味は、神様しかご存じないのです。

ですから、誰かの死や苦難の意味を、人が勝手につけるのはやめましょう。

 

すべては、主の御手の内にあります。

聖書には、私たちが知るべき神のご計画の全貌が記されています。

世の始めから終わりまでを、神の視点から学ばされていくときに、本当の平安を与えられていきます。

すべてのことは、神から発し、神によって成り、神に至るのだと(ローマ11:36)。

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