十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:悪魔(サタン)や悪霊ってホントにいるの?

2022/02/17
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:悪魔や悪霊をやたらと強調する人もいれば、象徴的なものにすぎない、と
いう人もいますよね。どう考えたらいいのでしょうか?

1. 悪魔の存在抜きに説明できないことがあります

無差別殺人や、大量虐殺(ジェノサイド)のように、言語を絶する悪があることは否定できません。

なぜ、そんな凶行に及んだのか?

多くの人々が、様々な背景から探ろうとしてきましたが、真実の原因にたどり着けた人はいません。

その試みは、超えがたい深い溝に阻まれるのです。

どんなに悲惨な状況や、辛い生育歴があったとしても、それだけでは説明のしようがないものがあるのです。

 

加害者が「ひきこもり」だったと報道されれば、「ひきこもり」が原因であったかのように言う人が必ずいます。

しかし、当然のことながら、何万というひきこもりの人々の中で、人の命を奪うような凶行にいたる人など、ごくごくまれです。

そこには、生育歴とか、社会的背景を越えた、全く異質の問題と原因が存在するのだと理解する必要があります。

 

「平気で嘘をつく人たち」という本を読んで印象に残っていることがあります。

重大な犯罪を犯した人々の多くが、何かと取引して、自分の良心を明け渡した瞬間があったと自覚しているそうです。

ある人々は、それを悪魔、悪霊との取引と表現しています。

 

2. 人格的存在である悪魔、悪霊

聖書は、悪魔(サタン)、悪霊を人格的な存在として記しています。

悪魔、悪霊は人格的存在として人間に働きかけ、交わり、悪に誘い、破滅に引き込みます。

アダムとエバを罪に誘ったのは、蛇を通して働きかけた悪魔でした。神への疑いを生じさせ、神のようになりたいと欲望をかき立て、背かせたのです。

カインが弟アベルへの嫉妬と怒りに駆られた時、神は、「悪が戸口で待ち伏せしている」と警告されました。

 

悪魔は、人格的存在であるがゆえに、人間の弱みや罪の性質を知り尽くしており、巧みに誘い、破滅へ導くのです。

人に罪を犯させ、滅びに誘う、人格的な悪の存在がある。それが悪魔、悪霊なのです。

 

3. 悪魔、悪霊の起源と目的

聖書のテーマは、神の栄光であり、神と人との契約が軸です。

悪魔については、必要最小限のことが断片的に記されているだけです。

そこから推察できるのは、悪魔は、元は、神の最も近くで仕える大天使であったのが、自ら神のようになろうとした。(エゼキエル書28:11~19,イザヤ14:12~14)

そして三分の一の天使と共に神に反逆し、地に落とされた、ということです。(黙示録12:3~4)

この「元大天使」が「悪魔・サタン」であり、その配下の「元天使たち(堕天使)」が「悪霊」です。

 

強大な力を持ち、宇宙の支配者である悪魔ですが、神から見れば、被造物の一つに過ぎません。

悪魔には、創造主である神に対抗する力はありません。

なので、神が最も愛し、大切にする人間を破壊しようとするのです。

 

悪霊の首領である悪魔をサタンと呼びますが、サタンという言葉は、「敵対者、反抗する者」の意味です。

サタンは、本質的に、神に反抗する者、敵対者なのです。

また、悪魔をデビルとも呼びますが、語源はギリシャ語の「ディアボロス」。「訴える者」「中傷する者」という意味です。

悪魔は、「吠え猛る獅子のように(Ⅰペテロ5:8)」、絶えず獲物を求めて徘徊しています。

 

4. 悪魔、悪霊の定められた運命

悪魔、悪霊の罪は確定しており、悔い改めるに至ることはあり得ません。

主イエスの再臨の際には、陰府の奥底に閉じ込められ、千年後、燃える火の池へ投げ込まれ、永遠の滅びにいたります。

主イエス・キリストが十字架の贖いの業を成し遂げられたとき、悪魔、悪霊の敗北は決しました。

 

真の支配者であるイエスが、まだ戻ってこられない今、悪魔は、地上を不法占拠しています。

神は、裁きの前の猶予期間として、一人でも多くの人を救いに導くために、この時代を保たれているのです。

ですから、「今は恵みの時、救いの時」なのです。(Ⅱコリント6:2)

 

5. 悪魔、悪霊の数

悪魔・サタンは、一体だけです。

悪霊の数は、不明ですが、天使と同じく生殖能力はないので、増えることはありません。

福音書には、悪霊に憑かれた人々が多く登場し、ユダに至っては悪魔自身に取り憑かれています。

この時代は、メシアの妨害のため、イスラエルに悪の勢力が結集していました。

イエスが天に昇られた後の使徒の時代には、悪霊の出現は激減しています。

再び、世界中に散らされていったということでしょう。

福音書の時代が特別なのであって、今の時代には、周りに悪霊がうじゃうじゃいるなどと恐れる必要はありません。

 

6. 悪魔、悪霊の性質と限界

神の御性質の一つが、「偏在」。同時に、あらゆるところに存在される、ということです。

しかし、悪魔は、一カ所にしかいることができません。

悪魔が、一度に働きかけられるのは、何十億もいる中の、一人だけ、ということです。

 

では、悪魔には、超自然的な力は備わっているのでしょうか?

荒野の誘惑で、悪魔は、イエスを連れて一瞬で移動しています。

これは、おそらく、イエスの霊だけを伴っての異動であったと思われます。

これが肉体をも伴う物理的な移動であったということなら、父なる神がそれをなされたということになるでしょう。

霊に過ぎない悪魔に、物理的な超自然的な力があるとは考えがたいからです。

悪魔の意図で、人に物理的な攻撃が加えられている場面が、ヨブ記に記されています。

しかし、その背後には、神の許しがありますから、神ご自身がなされたことだと理解するべきだと思います。

 

このように悪魔や悪霊は、肉体を持った存在ではないので、直接、物理的に人間に危害を加えることはできません。

ですから、人間の心に働きかけて、人間を通して悪をなそうとするのです。

映画化もされた「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」。作中で、悪魔は、一つの指輪を通して人に働きかけます。

指輪そのものに力はないのですが、人の心を巧みに誘惑し、捕らえ、悪を行わせるのです。

悪の本質をよく描いていると思います。

 

典型的に描かれる悪魔の姿は、コウモリのような翼に、ヤリのような尻尾を持つ、真っ黒な姿であったり、山羊の怪人だったりします。

こんな姿で現れてくれれば、見分けやすくていいのですが…。

時に、悪魔は、光の天使を装って現れます。(Ⅱコリント11:14)

 

7. 悪魔、悪霊との戦い方

悪魔、悪霊に対して、私たちの覚えておくべき姿勢は、いたずらに恐れないこと。そして、侮らないことです。

あなたが、主イエスを信じたクリスチャンであるならば、悪魔や悪霊を恐れるには及びません。

聖霊の証印が押され、主のものとされたあなたに、悪霊が取り憑くことはできないからです。

 

また、悪魔、悪霊は、神の許された範囲でしか行動できません。

事故や病気など、何か悪いように思えることがあなたに起こったとしても、それは、神の許された範囲で起こっていることであって、悪魔や悪霊のせいなどではないのです。

ただし、悪魔、悪霊は生来の嘘つきですから、自分がやったように思わせることには長けているでしょう。

 

悪魔、悪霊との戦いの前に、まず確認すべき原則は、まず、私たちは、主イエス・キリストによって、すでに勝利しているということです。

悪魔も悪霊も、滅び行く敗残兵に過ぎません。
主の勝利は決し、悪への裁きは定められました。

天地万物を造られ、救いの業を成し遂げられた神が、ご自分の約束の全てを完全に成就されます。

 

主イエスが、荒野で悪魔の誘惑を退けたときに用いられたのは、よく知られた聖書の御言葉だけでした。

日々、御言葉に親しみ、聖書をよく学び、兄弟姉妹と分かち合い、交わりつつ歩んでいるなら、それで十分です。

もう一つ、悪魔、悪霊との戦いで有効なのは、自分の弱さを自覚していることです。

悪魔、悪霊は、常に、私たちの弱い部分をとっかかりにして、誘惑し、攻め落とそうとするからです。

 

「わたしにはできません。どうか、主よ助けてください。」と、自分の弱さ、罪を主に明け渡していきましょう。

あなたを贖われた主が、あなたを助け、個人的戦いの一つ一つにも勝利を治めてくださいます。

そのことを信頼し、ただ、栄光の主を見上げて歩んでいきましょう。

栄光の主の御顔を仰ぎ見続けていくこと。それが、悪に対抗する最大の力となります。

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この記事を書いている人 - WRITER -
2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Comment

  1. なわち より:

    悪霊のことで質問させてください。
    クリスチャンには聖霊様が内住してくださっていますが、悪霊は聖霊様が内住しているのを認識することができますか?

    • sikaoichurch より:

      聖霊が内住されているクリスチャンには、悪霊が入り込んで棲みつくことはできませんよね。
      (たとえ、一人クリスチャンが、どんなに信仰的に後退しきっていて、はためには、考えがたいひどい状態におちいっていたとしても)
      ということは、悪霊は、その人が福音を信じたクリスチャンであり、聖霊が内住されているということは、はっきり認識しているものと思われます。
      悪霊は、攻撃すべき人を、はっきり見分けて、的確に攻撃するのでしょうね。

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