十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:聖書をそのまま信じるって、危険では?

2020/07/30
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:聖書を鵜呑みにしたら、聖書を信じない者や、神に逆らう者は、
地獄に落ちる、なんて話になりますよね。危険極まりないのでは?

1. 危険だから言ってはいけない?

たとえば、この道の先は崖だから、落ちたら死ぬよ、と言うのは危険なことでしょうか?

それが本当なら、むしろ、まっすぐいっても大丈夫、と言う方が、危険極まりないことです。

信じなければ、地獄に落ちるよ。という場合に、問題にすべきは、言い方ではなく、それが真実かどうかです。

 

真実でないのに、地獄に落ちると言っているなら、それは確かに危険極まりないことです。

しかし、真実ならば、危険だから言うな、という主張自体が、深刻な結果をもたらしかねない、危険極まりないことになります。

検証すべきは、それは真実が否か、という点です。

2. 客観的な事実の認識は同じ

聖書をそのまま神の言葉とは信じない、リベラル(自由主義神学)の立場の人も、聖書を神の言葉と信じる福音派の人も、合致している点があります。

つまり、聖書には、確かに、滅びについて、裁きについて、書いてある、ということです。

これは客観的な事実です。これをどう理解するかが異なる訳です。

たとえば、同性間の性行為を認める立場のクリスチャンも、聖書に、それを厳しく禁じる記載があることは認めます。

その上で、リベラルのクリスチャンは、聖書は人が書いたものだから間違いもあるし、そのまま神の言葉とは言えないと言うのです。

3. 聖書が真理でないという根拠は?

自由主義神学では、聖書は、様々な神話や伝説をもとに、多くの人々が、何度も編集をしてできあがったものだと主張します。

しかし、その根拠は、というと、極めて薄弱です。

それが本当なら、編集過程の聖書がたくさん発見されていていいはずですが、そんなものが見つかった試しがありません。

現在残っているのは、完成した原本の写本だけです。

写本によって、写し間違いや、後の時代の追記とみられるような細部の違いはあっても、もとは同じということです。

 

進化論や宇宙論との相違も、聖書の不真実性を示す根拠とされます。

神がすべての動物を種類ごとに創造したという記述と、生命は偶然誕生し、原始的な生物から進化してきたのだという論は、根本的に異なります。

では、進化論は真実かというと、その根拠もまた極めて薄弱です。

進化が真実であるなら、進化途中の生物の膨大な化石が発見されていてしかるべきですが、科学的にはっきり中間体だと証明された化石は今に至るまで、一つもありません。

爬虫類から鳥の進化途上とされた始祖鳥は、それより古い地層から、完全な鳥の化石が発見されており、絶滅した変種の鳥に過ぎないと言われています。

魚と両生類の中間体と言われたシーラカンスは、今も生きている深海魚でした。

進化が、事実として観察されたことはありません。

明らかな事実は、染色体異常や遺伝子の異変は、生存を危うくするだけであり、無機物からの生物の発生が、確認されたこともないということです。

 

すべてのものは劣化し、エネルギーは拡散していく。それがこの宇宙の避けようのない法則です。

仮説を立て、実験し、立証する。

この、科学には必須の検証を、進化論は行うことができません。

仮説の域を出ない進化論は、科学の名に値しません。むしろ、一つの信仰体系といった方が適切でしょう。

そこにあるのは、科学vs信仰の戦いではなく、信仰vs信仰の戦いなのです。

4. 聖書が言う、最も危険なこととは?

聖書の示す真実性について、聖書の記載自体に矛盾があると言う人も多いですが、ただ単に、聖書の読み方を見失っているだけです。

異邦人信者が主流になり、ユダヤ人信者が排斥された教会の歴史があります。

本来の意味を見失い、すべてが比喩的に解釈されるようになり、聖書解釈は混迷を深めてきたのです。

 

しかし、聖書は、本来、読んで理解できるように、秩序だって書かれています。

本来の文脈に従って、ヘブル的視点で読めば、細部に渡って、驚くほどの調和と一致があることが分かります。

 

また、聖書に記載された内容が、確定された科学的発見や、確認された歴史的事実と異なるところはありません。

地球が丸いというコペルニクスの主張を当時の制度的教会は退けましたが、聖書にはむしろ、地球が丸いことを示唆する記述があります。

聖書にしか記録が残っておらず、伝説に過ぎないと考えられていた、古代の王朝や王の名が記された遺跡や文献が発見されたという例は枚挙にいとまがありません。

考古学において、聖書は重要な指標であり続けています。

 

聖書から言えば、最も危険なのは、聖書の神を否定することです。

歴史もまた、それを証明しています。

史上作悪の大量殺戮のワースト3は、レーニン、毛沢東、ヒットラーという無神論者が引き起こしました。

何千万という犠牲者数は、他とは比較にならない凄絶な規模です。

 

聖書は、世の終わり、愚にもつかない作り話に人々が惑わされ、愛が冷えると警告しています。

聖書をそのまま信じるのと、拒むのと、どちらが危険なのか。どちらが真実なのか。

とことん検証していただきたいと思います。

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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

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