Q:どうして教会が、カルト化するの?
目次
Q:カルト化しちゃった教会の話、結構聞くのです。
なんで、そんなことになるんでしょう…??
1. まず最初に、カルトとは?
すべての教会が立つべき教理の土台から外れたグループが、「異端」です。
“救いは、ただ信仰と恵みによる。キリストは、完全に神であり人である。”
こういった基本的な教理が崩れているのが、「異端」なのです。
教理的には異端でも、社会的には問題もなく過ごしてるグループもありますから、必ずしも、異端=カルトとは言えません。
一方、「カルト」という場合、社会的規範から逸脱したグループを指します。
カルト化した教会は、教理的にも、社会的にも、逸脱した状態にあります。
カルトの主な特徴としては、指導者の権威の絶対化、恐怖心や情報制限によるマインド・コントロール、自分たちが唯一正しい組織だという、極端な排他性などが挙げられます。
人権侵害、様々なハラスメント、金銭問題等、具体的な被害が出ている、というのも、カルトかどうかの見極めの条件と言えます。
実際に、その教会がカルト化しているかどうかを判断するためには、客観的な基準が必要です。
カルト問題に取り組んでいる団体の、診断表などを用いるとよいでしょうし、何より、カルト問題に取り組んできた専門家の意見が重要だと思います。
2. カルト的教会と、カルト化した教会
すべての教会は、カルト化する危険性を抱えていると思います。
クリスチャンも、誰もが未解決の罪の問題を抱えていますから、それが地域教会に悪影響を与えることがあるのです。
この地域教会は、神と人との健全な関係を築けているか? カルト的になっていないか?
常に、聖書に基づくセルフチェックを求められています。
いくらかカルト的傾向が見られる、という段階に過ぎないなら、その「カルト的教会」は、悔い改めて立ち返っていくことも可能でしょう。
一方、「カルト化した教会」というと、前述のカルト的特徴が、否定しようのないほどにはっきり現れている教会ということになります。
本当に、カルト化した教会ならば、何よりまず、一刻も早くそこを離れて、自分の身を守るべきだと、専門家は警鐘を鳴らしています。
3. カルトリーダー・羊の皮を被った狼
カルト化した教会には、カルトリーダーがいます。
カルトリーダーに共通の特徴には、極端な権威主義による自己の絶対化、目的のためには手段を選ばない非情さ、平気でウソをつき、驚くような二面性があることなど、が挙げられます。
カルトリーダーに問題提起しても、一顧だにされないでしょう。
あざむかれ、怒鳴られ、むしろ、あなた自身に問題があるとすり替えられ、攻撃は激しくなるばかりでしょう。
「良心が欠けている」としか表現のしようのない人々の存在が、社会的問題となっています。
自己愛性パーソナリティ障害、マニュピュレーター、サイコパスなどと呼ばれる人々です。
カルトのリーダーは、まさにそのような人格を持った人々だと言えます。
自ら望み、様々な手段を尽くし、時には、忍耐強く努力して、今の地位を手に入れた…。
それがカルトのリーダーだと、わたしは考えています。
その人は、心変わりした、のではありません。
元から持っていた性質が、願望が叶えられた時に、もはや隠される必要もなくなったということです。
教会は、彼らの自己実現には、うってつけの場所なのだと思います。
神の権威を振りかざすことができ、信徒の多くは、「良心的でおとなしい、優しい人々」だからです。
彼らはまさに、羊の皮を被った狼として、教会に潜り込み、羊をむさぼり食らうのです。
偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。
マタイ福音書7:15 (新改訳2017))
4. 悔い改めの可能性は?
「カルトのリーダーは、変わりません」と、何人もの専門家の先生に言われました。
何百件も救出活動に当たってきた経験者が、そう言われるのです。
主イエスは、人間の言い伝えにすぎない口伝律法で人々を支配していた宗教指導者の罪を指摘し、「大きな石臼を結わえられて、海の底に投げ込まれたほうがましだ(マタイ18:6)」と断言されています。
彼らを待つのは、神の厳しい裁きです。
カルトのリーダーに、悔い改めの可能性が全くないとは、言えません。
ユダ(南王国)の滅びを招いた最悪の王マナセも、晩年には悔い改めて救われています。(歴代誌Ⅱ33:13)
しかし、それは、神に委ねるしかない領域だとも、思い知らされます。
人に、他者を変える力は、ありません。
5. 聖書に堅く立っていくこと
カルトに直面した時には、逃げる、専門家に相談する、法的保護を求めるなど、様々な行動が必要とされることでしょう。
何より、クリスチャンにとって力になるのは、聖書の御言葉に堅く立っていくことだと確信します。
聖書の説く真理に、キリスト教の基本的教理そのものに、カルト的要素を真っ向から退ける力があるからです。
“私たちの仲介者は、大祭司、主イエスお一人であり、クリスチャン一人一人の内に聖霊が住まわれ、神の宮とされている。”
“人はただ、福音を信じて救われ、その救いは二度と失われることのない、永遠のものである。”
“愛と義の神が、一方的な約束によって、人の罪によって破壊されたこの世界を回復され、主ご自身の栄光によって、全てが満たされる時がくる。”
“ただ主の憐れみによって生かされ、福音宣教の使命を帯びて遣わされている。”
私も、その一人なんだと!!
神の完全なご計画には、人が手助けする余地などなく、悪の立ち入る隙間もありません。
人ではなく、十字架と復活の御業を成し遂げられ、世界を完全に回復される、全知全能の主を見上げましょう。
【参考文献】
■「教会がカルト化するとき」 (21世紀ブックレット) ウィリアム・ウッド (著)
■カルトからの脱会と回復のための手引き《改訂版》――〈必ず光が見えてくる〉本人・家族・相談者の対話を続けるために 日本脱カルト協会 (著)
Comment
初めまして、福音派であると自認しているクリスチャンです。
この教会の証し、牧師の証しを読み、心に平安が訪れました。感謝します。
実は、「教会のカルト化」で検索したところ、このページに出会いました。
私は、長年同じ牧師が牧会していた教会に通っており、3年前に今の牧師に交代しました。
私たちはノアの箱舟の洪水は全世界規模のものであると信じているのですが、今の牧師は「洪水は一部地域である」と言われ、教団に「教理が違うのではないか」と尋ねましたが、「教理の範囲内」と言われ、ショックを受けました。
また、一昨年前くらいから、今の牧師がとても権威的であると感じ始めました。教会はまだカルト化していませんが、そのうちカルト化するのではないかと危惧しています。
そのことに気付いているのは7人くらいで、ほとんどの人が良い牧師だと思っています。
人間的な浅はかな知恵で動くとかえって教会を分裂させることになるし、カルト化していくのを見過ごすこともできないし、「地域教会」とは何かを考えなおしています。
そんな時に、先生の証しは衝撃的でした。リベラル派から福音派に変わるのですね。しかも、教団を離れ、ゼロからの開拓伝道なんて… 私にはまだ手放せていないものがたくさんあります。
自分の教会の牧師とノアの洪水のこと、千年王国のこと(牧師は無千年王国)について話ましたが、溝は埋まりませんでした。私たちの信仰が否定された気分になっただけでした。
私も、ハーベスト・タイムの聖書塾の塾生です。恥ずかしいのですが、11期生なのに卒業できていません。同じ教会の仲間4人で学んでおり、何年かかっても卒業するよう頑張ります。
長いメールで失礼いたしました。
コメントありがとうございます。お返事おそくなってすみません。
ここでの記事、用いていただけたなら、感謝です。
カルト化する教会に共通しているのは、支配的な指導者の存在です。その権威は、聖書の正しい解き明かしに基づく適正な権威なのかが、問われますよね。
聖書塾の塾生なのですね。一緒に学べる仲間がいらっしゃるのは、本当に恵みですね。
それぞれに、歩みは違うと思いますから、どうぞ、楽しみつつ、じっくり学んでいってください。
どこかでお会いできる機会がありましたら、幸いです。主の祝福を祈りつつ。
私は初めての教会で不運にも『カルト的教会』に出くわしてしまい、多くの傷を受けてきました。
<カルト化教会の特徴>の記事を読んだ時、ことごとく当てはまっていたのです。
また、カルト化する教会の最大の問題点は、律法主義的考え方生き方にあるのではないか?と考えています。
ですから、機会がある時に、<律法主義的考え方生き方に対する弊害>というテーマで課題として取り上げて頂けましたら幸いです。
よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
なるほど、そうですね。
律法主義から生じた偽善者に、主イエスは、何より厳しい叱責と警告を与えられていますよね。
律法主義と偽善を土壌に、カルト化した教会が生まれてくる。
本当にそうだと痛感させられます。
腰を据えて、取り組みたいと思います。