十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:神様いるなら、なぜコロナなんて??

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1.新型コロナが広がった原因

ウイルスは、生物の体内で共存しています。人間の体内にも、様々なウイルスがいて、重要な働きを担っています。

赤ちゃんを育てるために必要不可欠な胎盤も、ウイルスの助けがなかったらできないそうです。

ウイルスが悪さをするのは、他の動物の中に移った時ですが、自然の状況では、めったに起きることではありません。

 

新型コロナウイルスの場合、何かの野生動物の中で平和に共存していたのが、ある時、人間に移ってしまったのです。

考えられる可能性は、美食のために野生動物を乱獲した。環境が破壊されて、住む場所を追われ、人間と接触するようになった、というようなことです。

元をたどれば、本当に悪いのはウイルスではなくて、人間なのです。

 

聖書で、破滅的な裁きを招いている罪の一つは、種の壁を越えてしまうことです。

人間と神の子らと呼ばれる堕天使(悪霊)の交わりは、大洪水の裁きを招きました(創世記6章)。

天使を犯そうとしたソドムは、硫黄の火で焼き尽くされました(創世記19章)。

天地創造で、神はすべての生き物を種類に従って造られました(創世記1章)。

神の創造の秩序を犯すことは重大な罪なのです。

 

人間の貪欲の結果、ある野生生物の体内で平和に共存していたウイルスが、人間に感染し、変異して、人から人にうつるようになってしまった。

それが、新型コロナウイルスなのです。

今の状況は、私たち、人間の罪が招いた結果なのだと教えられます。

 

2.すべては神のゆるしの内に

新型コロナは、性別も年齢も国籍も宗教も、信仰の有無も関係なく、すべての人の命を脅かしています。

不条理にも、多くの人が命を失い。今この瞬間にも、死の淵をさまよっている人がいます。

多くの医療従事者が、命がけで治療にあたられています。

神は、苦しむ人々をほったらかしにしているのでしょうか。

 

主イエスは、神のゆるしなしには、髪の毛一本も、雀一羽も、地に落ちることはない、と断言されました。

天地の創造主なる神は、すべての命を与え、また取り去られる方です。

全知全能なる神のあずかり知らないところで起きている出来事などないのです。

 

財産も家族も健康すら失ったヨブは、それでも神を讃えてこう言いました。

「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。
【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。ヨブ 1:21」

コロナ禍も、神のゆるしの内に起こっているのだということです。

 

3.なぜ神はコロナ渦を起こされた?

「なぜ?」を理解するには、人の罪について知っておかなければなりません。

すべての人は罪を犯し、死と滅びに定められている。それが聖書の記す、人の罪の大原則です。

 

最初にして、最高の人間であり、人類の代表だったアダムが、神との約束を破ってしまった。それが、すべての罪の始まりでした(創世記3章)。

以来、人間は、命の源である神から断絶されました。それが死です。

霊的に断絶されて死んだので、肉体的にも死を免れることができなくなったのです。

 

霊的に死んだまま肉体も死ねば、先にあるのは永遠の滅びです。

神の目からみれば、それが最も悲惨なことです。

コロナ禍の中で、自分の無力さを思い知らされ、主の前に悔い改めて、救われる人が現れるならば、それこそ、神の御心に沿った出来事です。

 

4.神様がいるからこそ

神様がいるからこそ、コロナも起きたのだと言えます。

人類の歴史上、最も多くの命を奪ったのは、戦争ではなく、疫病です。

人間の悪による破壊よりも、神の裁きの方が、遙かに強大で、恐ろしいものなのです。

 

完全にきよい神は、ささいな悪も見逃されることのない義なる方です。

一方で驚くほどの憐れみと忍耐でもって、人類を導かれる愛の方です。

 

神が成し遂げられた最大の愛。それが、愛するひとり子イエスを、私たちの罪のあがないとして十字架につけられたことでした。

死んで葬られ、復活されたイエスは、今も生きておられ、信じる者すべてを救うことができます。

ここに、真実の神の愛があるのです。

 

5.すべての人に求められていること

主イエスの預言において、疫病は、世界大戦や大地震と共に、産みの苦しみの時代に、当然起こることとされています(ルカ21:11)。

しかし、それは、世の終わりの患難とは、比べものになりません。

7年間の大患難時代には、全人口の2/3が失われ、世界の2/3が破壊されます。

かつてない数の人々が主イエスを信じて救われる一方、それでもなお多くの人々は、最後まで神を拒んで滅びに至ります。

 

主イエスを信じたすべての者にとっての希望は、この大患難を逃れ、事前に天に挙げられること(携挙)です。

神は、厳しい裁きと共に、確かな救いの道をも用意されているのです。

 

大患難時代の目的は、悪と罪人への裁きと同時に、イスラエルを悔い改めに導くことです。

民族殲滅の危機の中でユダヤ人が民族的に悔い改め、メシアを求めたその時、主イエスは、王の王として地上に再臨されるのです。

 

今、クリスチャンに与えられた最大の使命は、十字架と復活の福音を人々に告げ知らせることです。

そして、世界中のすべての人々に求められているのは、福音を信じて、主イエスに従うことです。

主イエス・キリストは、私の罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、復活された。

この真理を受け入れたとき、どんな状況でも、決して失われることのない平安が、魂の底にもたらされるのです。

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