十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:どうしたら、神の声を聞けますか?

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

Q:神様の声を聞いた、って証を聞きました。すごいですよね。どうやったら、神様の声を聞けるようになりますか?

 

ある集会での小さな違和感

海外の大教会が主催したある大規模な伝道集会で、一人の講師の証を聞きました。

“ある国の大使館で要職についていた際、神の声を聞いて行動を起こした結果、大きな成果をおさめた”、そんな内容の話でした。

圧倒され、感嘆させられましたが、一つ、小さな違和感が残りました。

その講師が、“この集会の結果、こうなるでしょう”と告げられたそのことに、その教会の人々が並々ならぬ関心を寄せていたということです。

 

実際に告げられたのは、この集会の結果、地域の牧師たちが自信をもって、これまで以上に伝道にまい進するようになるでしょう、という極めて常識的ものでした。

しかし、その教会の多くの人々は、何か、それ以上の期待や、意味を、その言葉からくみ取ろうとしているように感じたのです。

言ってしまえば、ありがたい「お告げ」を「待っていました!!」というような、そんな態度にすら思えました。

日本人の牧師からも、“あの講師はすごいね、神の声を直接聞いているんだね” と、興奮した面持ちで話しているを聞きました。

私の中の小さな違和感が、のどにささった小骨のように、ますます心を騒がせました。

 

1.神様の声を聞いてみたい?

ある時、神様の声を聞いて、人生が変わったという人は、確かにいます。

“荒れた生活から立ち直った。伝道のため、見知らぬ地へ旅だった…。”

神様の声を聞くことが、本当に特別な、大切な体験であることは、間違いありません。

 

聖書にも、神の声を直接聞いた人々はたくさんいます。

ノア、アブラハム、モーセ、ヨシュア、ギデオン、サムエル、ダビデ、パウロ…。

12弟子にいたっては、子なる神イエスから、直々に、日々教えを受けました。

 

私自身は、神様の声を直接聞いたことはありません。確かに、うらやましいことだと思います。

私も、神様の声を直接聞いてみたい。そう願うことも。願う人が多いことも理解できます。

 

2.御声を聞けなかった聖徒たち

一方で、聖書には、生涯一度も、神様の声を直接聞いたことがなかった、という聖徒たちもいます。

例えば、ヤコブの息子ヨセフ。彼は、不思議な夢に導かれ、夢の解き明かしによってエジプトの宰相になりました。

兄たちに裏切られ、奴隷に売られ、無実の罪で獄に入れられながら、主を信頼し続けたヨセフ。

聖徒たちの中でも、間違いなく秀でた信仰の持ち主です。

 

しかし、ヨセフは、その生涯で一度も、神の声を直接聞いたことはありません。

イスラエルの偉大な指導者モーセの兄であり、最初の大祭司となったアロン。

しかし、荒野で神の声を聞くことができたのは、モーセ一人だけでした。

聖書に名を記された、偉大な聖徒たちにも、直接神の声を聞くことのなかった人々は、少なからずいるのです。

 

3.それは本当に神様の声?

神様の声を聞いた、という話は、けっこう聞きますが、中には、本当に神様の声かな、と感じるケースもあります。

また、神の声を聞いたという人を、いかにも、すばらしい信仰者であるかのように賞賛する声を聞くと、違和感を覚えます。

 

東京に人気の「預言カフェ」があるそうです。

そこは、とある教会が営むカフェで、飲み物を頼むと無料で預言をしてくれて、大人気なのだと聞きました。

その様子を動画で見ました。

来店客に向かって、「主は言われます…」と、だだ~っと語られていた内容は、“あなたの人生は転機にある…うんぬん“、といような、どうとでもとれるものでした。

はっきりいって、よくある占いと何も変わりません。

何より強い違和感は、ノンクリスチャンに向けて告げられた、その「預言」が、福音に全く触れていないことでした。

 

福音を告げることが、この時代に、すべての信者に与えられた、主イエスの第一の命令です。

福音を宣言しない「預言」が、神の言葉であるはずがありません。

イスラエルが南北に分裂した危機の時代には、預言者と共に、多くの偽預言者が現れました。

贋預言者たちは、耳障りのよいことだけを言い、神の警告から人々の耳を背けさせました。

 

主イエスは、今の時代に、多くの偽キリスト、偽教師が現れることを警告されています。

いつの時代も、本当の神の声を聞いた人よりも、偽りの声に惑わされた人々の方が圧倒的に多かったのです。

 

4.主は必要に応じて語られる

信仰の父であり、神の友と呼ばれるアブラハム。その彼すら、御声を直接聞いた機会は、生涯で数えるほどです。

イサク、ヤコブと、代を数えるほどに御声を聞く機会は減り、ヨセフに至っては、一度もありませんでした。

主イエスに語りかけられ、劇的な回心をしたパウロですが、それ以降、彼が直接神の声を聞く機会があったかどうかは、定かではありません。

 

神が直接語りかけられるのは、必要不可欠な時だけだと覚えましょう。

アブラハムに対しても、長い信仰生活の要所要所で語りかけているだけです。

ヨセフへは、神は、直接語る代わりに、夢で導かれました。何より、父ヤコブから聞き継いだ神の言葉がありました。

パウロには、希代の律法学者ガマリエルから学んだ豊富な聖書知識がありました。

回心後、ナザレのイエスこそメシアだと確信したパウロは、身につけた聖書知識を自在に用いて、主を証していくことができたのです。

 

5.この時代の原則を確認しよう!!

今の時代には、完成された神の啓示である聖書が、私たちの手元にあります。

聖書とは、記された神の言葉です。

誰でも、聖書を開きさえすれば、神の言葉を読むことができます。

直接、神の声を聞くことはできなくとも、神の言葉を読むことは、いくらでもできるのです。
この時代に知るべき神の言葉は、すべて、聖書全66巻に記されています。

私たちに、神様から直接教えていただかなければならない情報はありません。これがまず確認すべき第一の原則です。

 

神が直接語られるのは、殉教を覚悟するような歴史的危機の中にあったとか、霊的に幼すぎる人を神様が特別に憐れまれたとか、そんな場合です。

直接に神の声を聞く機会を、もしもあなたが与えられたなら、主の憐みにただ、感謝して、受け取りましょう。

間違っても、他者に対して誇ることではありません。

神が、直接語りかけられる時には、聖書からの確認もできるよう導かれます。聖書に反した神の語りかけなど、絶対ありません。

 

どうしたら、神の声を直接、聞けるのか?

残念ながら、神様次第、としか、答えようがありません。

神様は、必要であれば、いつでもあなたに直接語りかけることができますが、そんな場面は、めったにありません。

 

まず何より大切なことは、すでに与えられている神の言葉である聖書を読むことです。

ただ、聖書と私たちには、歴史的、文化的、地理的隔たりがありますから、手助けになるものが必要です。

このサイトや、聖書入門.comなどを活用していただけたら、と思います。

 

直接、神の声を聞くことはできなくても、神の意志を受け取ることはできます。

神は、福音を信じた人に、聖書を通して、また、その人の置かれた状況を通して、語りかけてくださっているからです。

 

付則:神の声を聞くための大前提

クリスチャンからの質問でしたので、神の声を聞くための大前提となる大切なことを記していませんでした。

神の声を聞くためには、神との人格的な交わりを持っていることが必要です。

どうやったら得られるか? まず何よりも、主なる神を信頼することです。

 

具体的には、主イエス・キリストが、私の罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、復活された。ということを信じることです。

これを福音(よき知らせ)と言います。福音を信じ、今も生きておられる主イエスに信頼を寄せた人は、その瞬間に救われています。

古い自分は死に、新しく生まれ変えられています。そして、その人の内に、神の霊である聖霊が住まわれています。

 

聖書を理解するためには、知識はもちろん、聖霊の働きが欠かせません。

福音を信じていない人には、聖書を本当の意味で理解することはできないのです。

そして、信じて救われた人は、信仰の成長を求められていきます。
どうすれば、信仰が成長していくか、というと、ただ、内に住まわれる聖霊を信頼することによって、聖霊の助けによって、成長させられていきます。

また霊の糧も欠かせません。クリスチャンの霊的糧は、聖書のみ言葉です。

日々、み言葉を学び、味わい、適用していくということです。
これを、デボーションとか、黙想とも呼びます。
聖書に日々親しんでいなければ、簡単に神様から離れてしまいます。

毎日、ご飯を食べるように、毎日、霊的ご飯である聖書を読み、学び、味わうことが、必須なのです。

 

福音を信じて救われて、聖霊に信頼して、日々聖書を味わい、生活の中で適用し、命の言葉である聖書を体験的に身に着けていく。
その中で、着実に、神の声を聞きとれるように、なっていきます。
それは、主を信じ、信じ続ける者すべてに開かれた道です。

「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。黙示録22:18~19」

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