聖徒伝36 モーセ⑩ 神の栄光は今どこに 幕屋の完成・栄光の顕現 出エジプト記35~40章
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1. 幕屋建設 35~39章
安息日遵守の命令の後、開始された幕屋建設。民が心から進んで捧げた物が、幕屋の資材となりました。
民は、罪ゆるされた喜びをもって捧げ、奉仕したのです。
奉納物の多さに、これ以上持って来るなと、モーセが命じなければならないほどでした。
幕屋建設にあたった、「心に知恵のある」、職人や芸術家たちは、主に従順な、聖霊に満たされた者たちでした。
幕屋の中心である至聖所は、天のエルサレムの影です。
至聖所に安置された契約の箱。その贖いの蓋の上に、神の栄光が宿りました。
幕屋自体が、メシアの型です。
主イエスが、わたしは「いのちのパン」「世の光」と告げられたとき、人々は、聖所の供卓、燭台を思い起こしたでしょう。
何より、祭壇に捧げられる犠牲が指し示すのは、「世の罪を取り除く神の子羊」、十字架の主でした。
メシアこそ、真の大祭司であり、すべてのクリスチャンは、人と神をとりなす祭司の使命を帯びています。
使用された貴金属は、金約900kg、銀3t、銅2tにも及びました。
2. 幕屋の完成 40章
約半年で、幕屋の部材すべてが作成され、いよいよ組み上げられました。
すべての祭具と祭司は、油注がれ、神の所有物として、聖別されました。エジプトを出て1年後のことでした。
「主がモーセに命じられたとおりである」
完全数の7回、繰り返される言葉は、幕屋が、神の計画通り、完全な形で建設されたことを表しています。
「こうして、モーセはその仕事を終えた」
モーセは、幕屋建設に際して、最初から最後まで神に忠実に従いました。
「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。出40:34」
幕屋で最も重要なのは、神の栄光が宿ることです。神の栄光のない幕屋には、なんの意味もありません。
この瞬間、離れていた神の栄光が、部分的とは言え、地上に宿ったのです。
アダムの罪以来のできごとでした。
3. 神の宮とされた私たち
人が罪人であるとは、神の栄光を受けられないということです(ロマ3:23)。
神はアブラハムを選び、約束された通りにイスラエルを救い出され、律法に従って建てられた幕屋に、栄光として宿られました。
しかし、約束の地に王国を築いた後、イスラエルの度重なる背信により、神殿から神の栄光は去りました。
神は、天地創造前から、栄光の救いの業を計画されていました(Ⅰコリ2:7)。
そして、メシアなる主イエスは、栄光を身に宿して誕生されたのです。
主は、イスラエルに拒まれながらも、神の怒りの杯を飲み干され、その十字架の犠牲により、民の罪を贖われました。
死を打ち破った主イエスは、栄光の体で復活されました。
福音を信じた者に内に住まわれる聖霊が、試練の中で私たちを守り、変えていってくださいます。
今、神の栄光は、信じた私たちの内に宿られており、私たち自身が、神の栄光が住まわれる、神の宮とされています。
栄光の御霊が私たちを変え、神の似姿へと育んでくださいます。聖霊に依り頼みつつ、変えられていきましょう。
栄光の主イエスが共におられます。