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聖徒伝100 ダビデ篇16 サムエル記第二17~18章 「罪の結末」  アブサロムの死・ダビデの悲嘆

2023/02/14
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


【資料はこちらからどうぞ➡】 100_ダビデ⑯_サムエルⅡ17~18章_アブサロムの死_210919

 

1. アヒトフェルvsフシャイ 17章

疲弊したダビデをすぐに追い、討ち取るべきだと主張したアヒトフェル。

一方のフシャイは、イスラエル全軍を招集し、アブサロム自らが率いて、ダビデ軍を壊滅すべきと助言しました。

アブサロムがフシャイの案を採用したのは、虚栄心をくすぐられたからでしょうか。何より背後には、主ご自身が働かれていました。

 

フシャイは即、伝令をダビデに送ります。発見され追跡された二人の伝令は、バフリムの町で一人の女に匿われ、無事に使命を果たしました。

ダビデ軍はその夜の内にヨルダン川を渡り、難を逃れました。

助言が不採用となったアヒトフェルは、故郷に帰り、自害しました。

明晰な彼には、行く末が見えていたのでしょう。戦略的には正論だった彼に決定的に欠けていたのは、神の義でした。

 

2. アブサロムの死 18章

反撃の体勢を立て直したダビデは、自ら出陣すると告げますが、兵たちにとどめられます。

ダビデが隊長たちに命じたのは、アブサロムへの寛大な取り扱いでした。

計画的に謀反を起こし、絶大な力を手に入れ、命を狙う敵を「若者」と呼び、憐れみを願うダビデ。現状をもたらしたのは甘すぎる認識でした。

 

エフライムの森が決戦の舞台となりました。

歴戦の勇士が集うダビデ軍は、アブサロム軍の体勢が整う前に攻撃を仕掛けたのだと思われます。戦いは、ダビデ軍の圧勝でした。

最大の被害は、密林によってもたらされました。主ご自身が、神が選んだ王ダビデの背きの罪を裁かれたのです。

 

アブサロムは、頭の髪が木のひっかかり、命取りとなりました。彼が誇っていた美しさの象徴が豊かな髪でした。

一人の兵から報告を受けたヨアブは、とどめを刺さなかったと咎め、自らの手で、アブサロムを殺しました。

ダビデ軍の勝利とアブサロムの悲報を伝え聞いたダビデは、悲嘆に暮れるばかりでした。

あまりにも救いようがない、アブサロムの最期でした。

 

3. 罪と死と神の裁きを心にとめよう

妹を犯され、息子たちと死別していたアブサロム。しかし、彼が行ったことには情状酌量の余地はありません。

用意周到に兄を殺害し、計画的に父の王権を奪い取り、側女と寝て力を誇示し、ダビデ軍の壊滅を望みました。

彼が自らの記念として建てた柱は、汚名を地に刻むこととなりました。

 

ダビデの涙から、人に取っての最悪は、最愛の人が救いの確信なく死に至ることなのだと突きつけられます。

死がただ悲劇に終わらないために、一つの救いの道にかけましょう。

 

ダビデに約束されたメシアは来られ、救いの御業を完遂されました。主イエス・キリストは、私の罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、死を打ち破って復活されたのです。

今も生きておられる主イエスだけが、人を死から救うことができます。神の変わらぬ約束だけが、永遠の滅びからの救いの確信を与えるのです。

死と滅びの救いの現実の前に、ただ福音だけが私たちのすがれる救いです。

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