十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

物語が世界を滅ぼす? あらゆる物語を打ち砕く、たった一つの真実

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. ストーリーが世界を滅ぼす?

 「ストーリーが世界を滅ぼす byジョナサン・ゴットシャル」という本を読みました。

人は誰もが、自分の物語に他者をなびかせようとしているし、誰かの何かの物語になびいている。

戦争のプロパガンダに煽られる大衆も、陰謀論にのめり込む人々も、物語に魅了された結果だと言うのです。

先住民の集落で誰より尊敬されるのはストーリーテラーであり、それは、文明社会でも変わらない。

人々が憧れるのは、物語の演じ手、作り手である、俳優、アイドル、映画監督などです。

ネット上のコミュニケーションが大半を占める世界で、物語の重要性、存在感、人々の心に占める位置はますます強くなっている。

今や、発信者たちは、膨大なデータを収集、分析、活用して、人々の求める物語を送っている。

そういう内容でした。

 

個々が、自分の気に入る物語に取り込まれる中で、世界の分断はますます大きく激しくなっているわけですが、ではどうしたらいいのか。

著者が言うように、人は、物語なしに生きられないのなら、手放すことなど不可能です。

 

2. 物語を選ぶのは、その人自身

陰謀論にのめり込み、間もなく宇宙人が来訪して地球は解放されると真顔で訴え、教会を出た人を知っています。

誰に勧誘されたわけでもなく、YOUTUBEを見続けた挙げ句のことでした。

ヘブル的視点で聖書を学んでいたはずの人がなぜ、そんな状況に陥るのか。

物語に魅了され、あっさり取り込まれてしまうのが、人間なのだ。そういう気づきを与えられて腑に落ちました。

 

しばらく、異端、カルトと認識される団体のリーダーと、聖書研究会をしていたことがあります。

彼らの教理を学ぶという形でした。

長らく、その団体の熱心な信者である親族の解放を願って、アプローチを模索する中でのことでした。

外と内の顔を使い分けるカルトの二面性を差し引いたとしても、出会った人々は、誠実で真面目な人々でした。

そして、心からその団体の教理を信じていました。

何人かの方から証しも聞きましたが、自分で選んで信じ、その結果に満足されていました。

 

マインドコントロールと言われる、人の心理を誘導する有効な手法があるわけですが、同じように誘われても、皆が信者になる訳ではありません。

その人を魅了する物語に、その人自身が自発的に応えた結果なのだと思います。

だからこそカルトからの脱会は難しいのでしょう。

 

3. 崩壊の危機にも強まる確信

宇宙人が来ると訴えていた方を、なんとか説得できないかと話を聞いていて、これは厳しいと感じたのは、すでに予定が延期されていたことでした。

○○年に世界の終わりが来ると切迫感を煽るのは、様々なカルトに共通です。

そもそも未来を知りうるのは、真実の神だけです。偽預言は当然外れます。

そこで気づいて出る人もいるわけですが、実は残る人の方が多いのです。

 

みなさんの祈りで回避されたのだとか、献金が足らなかったのだとか、指導者はいくらでも理由付けをし、信者はそれを信じることを選ぶのです。

あるカルト信者に、何度も預言を外してきたことを指摘したら、彼らなりの理由をとうとうと述べた上で、間違いを認めるのは誠実だと言われました。

もちろん、その認めた「間違い」も、非常に都合のよい範囲のことであるわけです。

 

魅了されていた物語が崩れそうになる時に、人は、なおその中にとどまることを願い、破れを繕おうとします。

危機を乗り越えるごとに、むしろ確信は深まり、グループの結束も強まるのです。

 

4. 物語が加速する世の分断

誰もが、何らかの物語を信じ、その物語の中で生きている。

深い分断に直面したとき、相手の信じている物語を理解することは、有益だと思います。

だからと言って相手を変えられるかというと、それはとても難しい。

そもそも求める物語が違う相手を、自分の物語で屈服させることはできません。

 

そのことを実感させられているからこそ、人は共感できる者同士で固まり、閉じこもって行くのでしょう。

社会的には少数で受け入れられがたい物語でも、ネット上なら共感する人を見つけるのは難しくありません。

むしろ、極端な物語ほど、仲間を見つやすく、結託しやすいとも言えます。

ネット社会が、ますます分断を深めていくのは、人間の性質からいって、避けがたいことなのだと思います。

 

5. 物語を打ち砕かれた、その先に

では、あなたはどうなのか。当然問われます。

私自身にも、自分の物語に知らずに浸っていたのだと気づかされる面があります。

一方で、私の信じる聖書の物語は、世の物語とは、全く異質なものです。

 

聖書に、人を魅了する物語などありません。

罪人である人間は、滅びゆくだけ。

人に、正しいことをやり通す力はなく、どんなに理想的な仲間が集っても、所詮は罪人の集まりで、世界の変革など不可能。

救いに努力の及ぶ余地はなく、プライドを満足させる領域もありません。

私たち人間にできるのは、主が示した福音を受け入れること、それだけ。

メシアは、スーパーヒーローとはほど遠く、人々に嘲られ、見世物にされて無残に殺されてしまった。

復活の希望も、再臨による世界の回復も、信じない人々には絵空事でしかない。

何より、人の介入する余地のない聖書の終末論に、人間のドラマは生まれません。

イスラエルが偶像礼拝に陥った理由もよく分かります。

偶像礼拝には、人を魅了し、欲求を満たす物語があるのです。

 

学ぶを深めるほどに、聖書の真実性が身に迫る一つの理由は、人間の物語を徹底して排除していることです。

最高の信仰者、賢者である王、ダビデ、ソロモンすら重大な過ちを犯し、弟子たちは逃げ出してしまった。

情けない限りのその姿に、自分自身の現実を突きつけられます。

聖書の物語こそ、私たち人間のあらゆる虚飾を剥ぎ取った事実なのだと。

 

信仰の歩みとは、自分の物語が打ち砕かれていく、その課程に他なりません。

ひたすらに求められるのは、真実の神を仰ぎ見ること、それだけです。

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