十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:世界を6日間で造るとか、絶対無理でしょ?

2019/10/05
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:神が世界を6日で造った、なんて、どう考えたって、そんなことは無理だと分かりそうなものですが…?

 

1. 無理な説明と言うことなら…

宇宙が、何もないところから、突然の大爆発によって誕生し、宇宙を構成するあらゆる元素が、一瞬のうちに寸分違わず偶然形成された、なんて説明するのには、無理はないんでしょうか…。

無機物から有機物ができ、生命が誕生し、恐ろしい確率の偶然の繰り返しの末に進化したという説明も同様です。

科学という名を冠しているから、理性的で論理的な説明とは限りません。

なぜなら、それを主張している人間は、誰もが、利己的で、妥協的で、不条理で、感情的な生き物だからです。

科学者だから、すべてにおいて理論的で客観的かというと、残念ながら、そうでもない、というケースが多々あるのです。

 

多数意見だから正しいなんてことが言えないのも、人類の歴史が証明しています。

天動説が主流だった時代に、地動説を唱えて迫害されたコペルニクスは有名ですが、何も彼が初めて地動説を唱えた訳ではありません。

当時は、天動説の上に、すべての学問体系や政治が成り立っていたので、既得権益にある人々は、それを崩されることをよしとしなかったのです。

大きな価値観の転換を、パラダイム・シフトと言いますが、それには、長い時間と、様々な要因が重なり合うことが必要となってくるのです。

 

多くの場合、人類の歴史を動かしてきたのは、正義でも真実でもなく、利己的なパワーゲームです。

そういう人間の現実を押さえた上で、なるべく公平な、白紙に近い視点で、以下の説明に耳を傾けていただければ幸いです。

2. 聖書の神は、創造主です!!

6日間で世界を創造するなんて、確かに人間には絶対に無理です。

物理的にもありえないと言えます。

しかし、この不可能を可能にする方が、一人だけ存在します。

それが聖書が記す、創造主なる神です。

 

なぜ創造主には可能か? その名の通り、創造主だから、です。

創造主とは、この世界、宇宙、時間、この次元をも造った存在のことです。

創造主は、全知全能です。自分が造られた世界の法則に制約されません。

それが、創造主なのです。

 

創造主の絶対性について、私たち人間も疑似体験が可能です。

つまり、作家と作品の関係性において、です。

マンガの作家は、自分の思いのままに、どんな世界でも、どんなキャラクターでも造り出すことができます。

作品の中の時間に、作家は制約されません。「それから10年」と、一コマで描けます。

原稿を並べて、キャラクターの生涯を一望することもできます。

 

聖書には、太陽が静止したとか、日時計が逆転したという奇跡まで記されています。

物理的には、絶対起こりえないことですが、それも、創造主なる神には、たやすいことなのです。

同様に、6日間で世界を創造するなど、神には造作もないことだと言えます。

3.  論理的にも、6日しかない!!

ところが、クリスチャンの中にも、文字通りの6日間の創造を信じない人がいます。

本当にクリスチャンであるなら、完全に死んだイエスが復活したということを信じているはずです。

物理的にも生物学的にも、絶対に起こりようのない復活を神の業と信じているなら、6日間の創造を信じることに何の問題もありません。

文字通り6日間の創造を信じられないクリスチャンは、聖書の神が創造主である、ということを、正しく理解していないということになります。

 

歴史的には、18世紀までは、聖書を文字通り信じる人々が主流でした。

それが崩れたのが19世紀です。

パラダイム・シフトが起こったわけですが、真実だから価値観の転換が起こると言えないのもまた、人類の歴史です。

以後、6日間の創造を信じないで、完全に否定する人が急増しました。

クリスチャンの中にも、なんとか、主流となった宇宙論や進化論と調和をとろうと折衷案に走る人々が現れたのです。

今は、否定派や、折衷派の方が主流になっている観すらあります。

日本のキリスト教界では特に、その傾向が強いようです。

世界的に見ても、日本は、共産主義国家並に無神論が強い、特殊な地域となっています。

 

聖書で、1日は1日です。

これを象徴的に理解するべき時には、たとえばダニエル書9章の70週の預言のように説明があります。

創世記1章では、夕(単数形)があり、朝(単数形)があったと、1日24時間であることがむしろ強調されています。

この1日は、長い時間を象徴的に示しているという折衷案の方が非論理的です。

4日目の太陽と月、5,6日の生物の創造以前の3日目に、植物が造られたとあります。

植物は、二酸化炭素と日光がなければ光合成できませんから、この1日が長い時間なら、植物は生き延びることが不可能になります。

まとめ.  目の前の自然から教えられること

自然を観察して分かることは、植物も動物も地球環境も、すべてのものが密接に関連しあって成り立っているということです。

今の時代、温暖化、異常気象、観測史上初と言う言葉が、ちまたにあふれています。

この地球環境が、いかに、緻密で繊細なバランスの上にあるか、一つ崩れればどれほどの影響がもたらされるか、私たちは、身にしみて味わわされています。

進化途上などという機能不全の生物が生存し得ないように、形成途中の地球環境など、考えられません。

すべてを一気に造り上げたのでなければ、この世界そのものが成立しえないのです。

この複雑な宇宙そのものが、創造主の存在を証明していると言えます。

だから誰も、創造主を知らないとは言えないと、使徒パウロは断言しています。

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」ローマ人への手紙 1:20

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