Q:世の中、なんで平和にならないんでしょうね?

   

Q:ミサイル騒ぎや、テロ…。なんだか、争いばかりが目に付きます。なんで、世の中、いつまでたっても平和にならないんでしょうね。

1.私たちは、平和的なコミュニケーションを知らない!

わたしが、非暴力トレーニングというプログラムを学んで、つくづく思い知ったのは、私たちは、平和的なコミュニケーションを本当に知らないんだということでした。

私たちが幼い頃から身につけてきたことと言えば、相手を評価し、やり込め、いかに従わせるか、ということばかり…。

「あなたは、いつも〇〇なんだから!!」 「あなただって、いつも〇〇じゃない!!」

よくあるやりとりですが、言われて腹が立つのは、どちらも正確な事実ではないからです。
「いつも」というのは、その人の印象でしかなく、客観的な事実ではありません。

また、コーチングを学ぶ課程では、いかに人の話を聴く訓練ができてないかを思い知らされました。

「こうしたらいいのに」と頭に思い浮かんだ時点で、もう相手の言うことなど聴いちゃいないのです。それは自分の思いつきにすぎず、たいていの場合、相手のニーズからは、ずれてしまっています。

自分の考えを押しつけても、問題の解決にならないどころか、相手が余計に混乱してしまったりするのです。

2.私たちには、平和を成し遂げる力がない!!

非暴力トレーニングでは、いかにものごとを客観的に観察するかを訓練します。

自分の評価を加えない、自分の気持ちは素直に伝える。でも、これが、難しいんですよね…。

ある研修に参加したときこのことです。

「あれ?」と感じたのは、講師が明らかに怒っていたのです。

ワークショップに使うカードを渡すときに、放り投げたりして…。

研修が進むにつれて分かったのは、その方は、とある社会問題に熱心に取り組んでいた方で、その時に生じていた事件に心底腹を立てていたんですね。

研修の最期に、「みなさん、ずいぶん穏やかな顔になりましたね」っと言われて、「いや、それ、あなただから!!」と、よっぽど、つっこみたかったですが…。

非暴力トレーニングは、理論的には説得力がありましたし、実際に、紛争解決に役立てられたりもしています。しかし、自分にとって身近な問題ほど、適応が難しいということも思い知らされました。

平和を構築するための、どんなに素晴らしい理論があったとしても、最大の問題は、私たち自身に、それをやり通す力がない、ということです。

どんなに大切に積み上げてきた関係も、一回の憤怒で崩れ落ちてしまいますし、多大な労力の上に築き上げてきた平和の努力も、少数の怒りに満ちた行動で、粉々に砕かれてしまうのです。

積み上げては崩されて、という、賽の河原に石を積み上げるような努力を、私たちは延々としているというわけですね…。

3.それでも、神の平和は、必ず実現します!!!

ならどうしたらいいのか?

めぐりめぐって、結局わたしがたどり着いたのは、「イエス様に信頼するしかない」、という信仰でした。

主イエスは、「平和を作り出す者は幸いです」と宣言されました。平和を作り出す力は、イエス・キリストご自身から来ます。

何よりまず求められるのは、自分には平和を作り出す力はないと認め、主イエスに委ねること。

右の頬を打たれて左の頬を差し出し、死に至るまで従順であったイエスが、私たちに代わって、平和を成し遂げてくださいました。

十字架にかけられ、死んで葬られたイエスは、復活され、天の父なる神の右に座しておられます。主イエスが、仲介者として、私たちと神との間に、永遠の平和を保ってくださっているのです。

「わたしには平和を作り出すことはできません。でも、イエス様、あなたが助けてくださるなら、できます。」と信頼すること。

 

わたしと家族との平和を作り出してくださっているのは、イエス様だと実感します。

多くの人が、破滅的な中から救われ、敵対してきた人との関係が修復されていっていることを証しています。

究極的な平和とは、私たちと神との間に結ばれる平和であり、それは、主イエスがすでに成し遂げてくださったことなのです。

そして、この世界全体が、完全な平和の内に回復される時がやってくると聖書は約束しています。

天におられるイエスが、平和の王として地上に再びやってこられる再臨の時、それが実現するのです。

  狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。
雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く

イザヤ書11:6~10

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