世界はいったいどうなるの? その行く末を聖書から考える
1. 聖書から世界の行く末は分かる?
米中の対立は、間に挟まれた国々にも、様々な影響を及ぼしているようです。日本も間違いなく、その一つです。
歴史上、最も多くの人々を死に追いやってきたのが共産主義です。
スターリンの大粛正や、毛沢東の文化大革命など、その迫害と失策による犠牲者の数は、ナチス・ドイツすらもはるかに上回ります。
人間の英知によってユートピアを実現しようとした共産主義は、むしろ、人の罪の深さを自ら突きつけるものとなりました。
共産主義の本性を垣間見た人々が、警戒心を抱くのは当然のことでしょう。
では、民主主義が理想なのかというと、そこにも答えはありません。
民主主義の行き着く先が、ポピュリズムであり、独裁であることもやはり、歴史が証明していることです。
ナチス・ドイツも、日本の軍国主義も、そして、世界中で台頭してきている強権的な指導者たちも、紛れもなく、民主的な選択の結果です。
政治の世界で人々が求められるのは、常に、最悪から2番目をいかに選ぶかという究極の選択です。
世界の行く末が、明るいものとは、言い難い。それが、現状です。
聖書は、メシアの再臨による世界の完全な回復を、最終的なゴールと記しています。
確約された将来はあるわけですが、現実に今を生きる私たちにとって、直近の未来はやはり気になります。
聖書から、世界の行く末を読み解くことはできるのでしょうか。
2. 聖書による国の繁栄の基準
聖書には、残念ながら、日本も韓国も、中国も米国も出てきません。なので、これらの国々がどうなるか、個別の答えを引き出すことはできません。
ただ、大きな流れの中で、ある程度大まかに予想できることはあります。
聖書が、この世における、国、民族の繁栄の基準としているのは、二つ。土地と人口です。
神が、アブラハムとその子孫と結んだアブラハム契約にも、土地の授与と子孫の繁栄が約束されています。
エジプトを脱出し、律法を授けられ、神の民として歩み出したイスラエルが、まず行ったのは人口調査でした。
70人だったイスラエルが、エジプトでの400年で、成人男子60万人に及んだのです。
しかし、神への背きによって40年、荒野を放浪した期間、イスラエルの人口は、ほとんど変わりませんでした。
人口の増減というシンプルな基準から世界を見るとどうなるでしょうか。
欧米は、人口減に突入しています。フランスや米国などは、移民によってなんとか維持している状況です。
欧米以上の急激な高齢化、人口減に直面しているのがアジアです。日本を筆頭に、韓国、台湾、香港、シンガポールなど、特に東アジアで、その傾向は顕著です。
世界最大の人口を誇る中国も、ついに生産人口が減少に転じました。
アジアの中でも、特に東アジアは、超高齢化を伴う人口減という、人類史上未体験の領域に突入しているのです。
人口から見れば、欧米も東アジアも、衰退期に入っていると言えます。
ですから、米中の対立で、どちらが勝つにせよ、勝たないにせよ。世界の覇者となるのは、難しいのではないかと私は考えます。
人口が増え、同時に経済的にも躍進している国や地域となると、インド、アフリカが挙げられるでしょう。
いずれの地域も、相応の経済発展を遂げ、国際的な影響を増していくものと思われます。
ただ、限られた資源の取り合いというレースの後発である国々が、世界の覇者となるまでに力を得られるかというと、やはり困難でしょう。
後に続く国々ほど、地域内での貧富の格差などの矛盾も大きく膨らんでいます。
軒並み人口減に陥っている先進諸国の中で、著しい速度で人口が増え続けている国があります。それが、イスラエルです。
イスラエルと、UAE、オマーンとの国交正常化は驚きのニュースでした。この流れが加速していくなら、中東に、イスラエルを中心とした、一大経済圏が築かれていくだろうと思われます。
ただし、今の時代にイスラエルが世界の覇者となることはありません。そこは、聖書にはっきり記されています。
3. 聖書が告げる世界統一政府の誕生
聖書は、世の終わりに、全世界を治める国の登場を予告しています。
「世界統一政府」などと呼ばれますが、実際の所、それがどのような統治形態になるのかは分かりません。
IT化の大きな流れの中で、今、国家の枠組みを超えて世界的な影響力を持つ超大企業が、いくつも現れています。
「世界統一政府」とは、現在の国家の概念とは、全く異なる性質のものかもしれません。
興味深いことに、「世界統一政府」は、誕生間もなく崩壊し、十の国ができると預言されています。(ダニエル7:23~24)
そこから得られるイメージは、世界統一政府とは、一つの大国が世界の覇者となるというよりは、いくつかの経済圏、政治圏に分かれた世界を束ねたものだということです。
ダニエル書などの聖書預言から分かるのは、今の世界の国々は、共和制であったローマ帝国の延長線上にあるということです。
一人の王が治める王国ではなく、複数の国や統治機構を束ねる形で成り立っているのが共和国の特徴です。
「世界統一政府」とは、十の国(行政区)からなる一つの共和国のようなものではないかと想像します。
この時代の最終的な世界の支配者となるのが、反キリストです。
反キリストは、まず、十の国の三つの王を打ち倒します。そして、大患難時代の世界の支配者となるのです。
世の終わりの大患難時代は、イスラエルと反キリストが7年間の契約を結ぶことから始まります。
反キリストの国とイスラエルが、平和条約、もしくは、安全保障条約を結ぶというようなことでしょう。
この時点で、反キリストは少なくとも一つの国の王、指導者となっていることが分かります。
4. 変わらない主の約束に生きる
アメリカの力の衰えを指摘する声があります。かといって、中国が世界の覇者になることもないでしょう。
衰退期に入れば、維持だけで精一杯になるのは、どこの国も一緒です。
ただし、短期的に、日本や周辺国との間に何が起きるかは、残念ながら聖書からは分かりません。
直近の未来について、聖書から導き出せるのは、それくらいのことかと思います。
いずれにしても、クリスチャンであるなら、なすべき使命は明らかです。
福音を告げ、御言葉を解き明かして行くこと。
主は、混沌とした世界の状況を通して、変わらぬ真理の上に立つことの大切さを、以前にも増して、私たちに突きつけているように感じます。
聖書において、国々の盛衰の背後に見られる、もう一つの重要な要素は、真の信仰者の存在です。
久しく世界のキリスト教界の中心であったアメリカ。世界有数のキリスト教国となった韓国。迫害下で、クリスチャンが激増した中国。これらの国々の繁栄の背後には、多くの信仰者たちがいたのです。
明治以降、躍進した日本においても、聖書の神、聖書の価値観を受け入れ、体現していった、多くの偉人たちの存在がありました。
信仰という点から、国々の衰退を見れば、これもまた明らかです。
アメリカでは、大多数の教会は、世的な価値観に飲み込まれてしまっています。
韓国では、共産主義を信奉する人々が、教会への迫害を強めており、中国では、家の教会への迫害が激しさを増しています。
また、繁栄の神学など、世的な価値観と強く結びついた、聖書から逸脱した教えが、様々な側面から、信仰の混乱と混沌をもたらしています。
日本においては、開国後の宣教開始から間もなく、人間中心の自由主義神学が入り込み、席巻していていったがために、太平洋戦争の開始頃には、多くの教会はすでに世俗化し、信仰は形骸化していたのだろうと、私は考えています。
そして現在、細々と生き延びてきた日本の教会もまた、世界的な教会の混沌と混乱の中で、さらに、その力を削られていきつつあるようです。
教会時代の教会に、偽りの教えが入り込んで膨らみ、世の終わりに近づくほどに混乱していくことは、主イエスが、一連のたとえ話で再三指摘された通りです。
世の終わりが間近に迫っているというのなら、私たちはまさに、背教の時代のただ中に生かされているわけで、教会の混乱も混沌も、避けようのないことです。
一方で主イエスは、世の終わりまで、あなたがたと共にいる、とも約束してくださいました。
私たちに求められるのは、主の約束に対する信頼だけです。
何が起こるにせよ、起こらないにせよ、信仰者に求められるただ一つのことは、聖書の真理に立ち続けること。使命に遣わされる者の必要は、主が満たしてくださいます。
主は、救われるべきすべての人を、確かに御国に招き入れられます。
世の流れに心騒がされることなく、ただ主を信頼し、福音を告げ、御言葉を解き明かして行きましょう。いつでも主が、共におられます。