コントロールを手放す 支配的な人、支配的組織からの脱出
1. 支配的な人とは?
世の中には、極端に支配的な人がいます。
見るからに権力指向で威圧的とかだと分かりやすくていいのですが、本当に支配的な人は、情報を巧みに操作し、相手によって態度や言葉を変え、他者をコントロールします。だから、ややこしいのです。
例えばAさんをターゲットに定めると、Aさん以外の人に、あることないこと言い広め、本人が気づいた時には、すっかり孤立してしまっている、という具合です。
支配的な人は、利益の得られる相手には、誠実な顔を見せますし、能力的には非常に有能であったりします。
眉一つ動かさずに嘘をつくので、見破るのは容易ではありません。ターゲットにされた当人だけが、その本質を知らされるのです。
支配的な人を、一種の人格障害に位置づけ、マニュピュレーター、(操作する人)と呼んでいる専門家もいます。本質を言い得ている言葉だと思います。
パウロが、「分派を起こす者(テト3:10)」と呼んでいるのはまさに、支配的な人、マニュピレーターなのだと思います。
2. 聖書だと、裏切り者のユダ?!
支配的な人と言って、聖書で思い浮かぶのは、裏切り者のユダです。
最後の晩餐でイエスは、弟子の一人が裏切ろうとしていると告げますが、誰もそれがユダとは思い至りませんでした。
当人のユダだけが、正体がばれていると感じ、場を外して密告に行きますが、その時にも、弟子たちは何か用事をいいつけられたとしか思わず、ユダを疑いもしなかったと聖書は記録しています。
ユダは、それだけの信頼を得ており、かつ有能な人だったことが分かります。まさに、支配的な人の典型です。
3. 支配的な人に支配されないために
支配的な人に悩まされている教会は、少なくありません。
信徒に支配的な人がいれば分派が起こりますし、牧師や役員がそうなら、カルト化します。
支配的な人は、力を行使できる場に自ずと集まります。宗教団体は、うってつけの場なのでしょう。
相手によって言行を使い分け、巧みにコントロールする。そのような支配的な人に対抗するために有効なのは、コントロールを手放すことだと思います。
オープンで、誠実で、率直であることが最大の武器です。
支配的な人の巧みな嘘も、分派が進むどこかの過程で必ず表出しますから、弁明の機会もあります。
それでもなお支配的な人に汲みする人がいたら…、それは仕方がありません。
その人も、支配的傾向があるということです。
思考停止した従順と強権的な支配は、コインの表裏です。
思考停止して従順な人というのはつまり、自分を支配し、自分で自分を騙しているわけですから、立場が変われば容易に、他者をだまして支的する、支配的な人になり得ます。
教会で問題を起こす、支配的な人の多くが、かつては、思考停止による従順を強いられる、そのような支配的教会の出身だったというのは、頷ける話です。
4. クリスチャンにとっての最善
他者をコントロールしようとする。これは、罪の根源ですよね。
支配的な人の究極的存在は、サタンであり、彼の最大の武器は嘘、偽りです。
イエスは、サタンの誘惑に対して、聖書の御言葉によって対抗しました。それも、当時のユダヤ人なら誰もが知っている、申命記の箇所からの引用でした。
聖書の文脈に沿って正しく理解され、適応された御言葉ほど力になるものはないと、教えてくださったのです。
真理の御言葉こそ、嘘、偽りに対抗する最大の力です。
真実が語られるところに、偽りは存在し続けることはできません。
初期の教会にも存在した様々な問題に、パウロは、真理を伝えることで対抗しました。何よりパウロは、御言葉を正しく伝えることに力を注いでいます。
愛と義の完全な支配者である主に委ねること以上の対抗策はないのです。
教会の中にいる、支配的な人によって、悩み、苦しんでいる方へ。
脱出するための最善の道は、あなた自身で聖書を読み、正しく理解する術を身につけることです。
偽りの支配から逃れる道は、神の支配に入ることです。
神の支配に対する従順は、信じた者が、喜んで自発的にすること。それは、聖書を学び、心から納得する中で、自然と身についていくことだと実感しています。
兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。
ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。 使徒17:10~11