十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

「相模原障害者殺人事件をうけて…今、思うこと」 一人の障害児の親として

2017/12/22
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

心が騒ぎます。変わりない日常の、和実とのいつもの賑やかなやりとりの中で、ふと、この時を奪われた19人のご家族のことが思い浮かぶのです。

無抵抗の障害者を殺傷する、戦後最悪の事件が起きました。護送途中、笑みを浮かべていた容疑者の姿に、事件の本質がよく現れていると思います。

明確な悪意に基づいた、計画的犯罪。

「障害者に生きる価値はない」と、彼は確信もってことに及んだのでしょう。

彼の出生や境遇をいくら遡っても、何の説明もできないでしょう。悪の行為を正当化できるものなどありません。

ただ、一つ言えるのは、彼の行為を下支えしているのは、この社会の価値観そのものだということです。

すべての命は偶然の結果生じたもので、環境に適応した者が生き残ったに過ぎない。激しい競争とおびただしい殺戮の上に生命は進化してきて今がある。

…それが、学校でも教えられている、この社会の命の価値観です。

この価値観によれば、すべての命は、たまたま生まれてきたに過ぎません。生まれてきた意味など、探すだけ無駄ということになるでしょう。

さらに言えば、社会的に適応できない者、弱い者に、存在価値はありません。生かされるとすれば、それは、余裕のある者からのお情けでしかないでしょう。

命は偶然の産物に過ぎない、という価値観がもたらした、当然の結末が、あの事件である。これは、目を背けてはならない現実だと思います。

彼は、自分の行為が、この社会の本質的な価値観に根ざしたことだと、はっきり分かっているからこそ、不敵な笑みを浮かべていたのだと、わたしは感じています。

命を、偶然と競争の結果にしか過ぎないとする価値観が、社会の根っこにある限り、同様の悪をなす者は、いくらでも現れてくるでしょう。

聖戦で死ぬことがパラダイスへの確実な道だと説く宗教が、テロの温床となっていることと、根は同じです。

障害者の保護者団体が出した緊急声明の中で、「私たちが守ります」と宣言されていました。その意志に共感しますが、守れなかったのが現実です。

狡猾に、躊躇なく、命を奪う、そのような悪に対して、私たちは無力です。

悪に対抗できる価値観は、一つしかありません。すべての命は、創造主が造られたと信じる、その価値観です。

主が愛され、よしとされたゆえに、どんな障害や重病を負おうとも、すべての人には、生きる価値があります。

主が、どうか、彼の心を打ち砕かれ、自分のなしたことの意味を分からせてくださいますように。

気付きの後に必ずやってくるであろう、絶望的な苦しみのただ中で、彼が贖いの主に出会うことができますように。

そして彼が、死後に来る永遠の滅びの裁きではなく、この人生においてこそ、蒔いた種の刈り取りをさせられますように。切に願い、お祈りします。

【2016年7月30日:記】

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